ウェブ一般交換論

(以前投稿した記事を再掲)

 2009年に書いた試論に少しだけ手を加えたもの。

「一般交換」って知ってますか?

 流行るウェブサービスは多くが「一般交換」の構造を持っている。
 しかし、しかしだ。一般交換について語る人は少ない。
 ということで語る。

限定交換と一般交換

 我々が普段利用しているほとんどのウェブサービスはコミュニケーションツールであると言える。しかし、これでは言葉が足りない。「コミュニケーション」とは情報などの「交換」のことであり、その「交換」には二種類ある。
 一つは限定交換だ。一対一の交換、直接交換、等価交換などいくらでも表現出来る、ごく一般的な意味での交換だ。
 そしてもう一つは一般交換である。一般交換は双方向のやり取りというよりも一方的に与えるだけで、集団の構成要因が非対称に与え合うことで交換として観測される。
 例えばAがBに与え、BはCに与え、CはAに与えるとする。AとB、BとCなどの一対一の関係を一つの単位として考えれば交換は行われていないが、集団ABCを一つの単位として考えれば交換がなされたと見ることが出来る。このようにミクロでは贈与で、マクロだと交換となるのが一般交換である。
 この一般交換は人間が社会を構成するための機能と言ってもいい。限定交換だと行為が二者間で完結してしまうが、一般交換だと集団を必要とする。言い換えれば一般交換が行われるとそこに社会が生まれるのだ。そして社会を形成するのは人間の本質であり、人は常にその方向へ進む。
 集団内で限定交換をさせた場合と一般交換をさせた場合で、どちらがより自分の集団内の人間を信頼するかという実験だと、限定交換は内外の人間に差を与えないが、一般交換だと集団内の人間をより信頼する傾向がある。
 身近なことに例えれば、コンビニ店員と同僚で比べてみよう。毎日利用するコンビニがあり、そこに毎日顔を合わせる店員がいる。一方で、一度も話したことのない同僚がいる。
 さて、どちらがより信頼出来ると感じるか。大抵の人が後者だろう。前者は二者間の限定交換だけの関係で、後者は会社という集団で情報を非対称に与え合う、一般交換だけの関係である。後者とは一対一の関係を持ったことがないにも関わらず、より信頼出来るのだ。
 つまり、一般交換は限定交換より人を惹きつける。(※ちょっとたとえが悪いかもしれない)

ツイッターは出るべくして出た

 限定交換の構造を持つ代表的なコミュニケーションツールはチャットである。相手に言葉を与え、相手から言葉を受け取る。「やり取り」をするツールだ。
 では一般交換の構造を持つコミュニケーションツールは何か。
 一般交換の構造そのものであり、最もわかりやすいのがツイッターである。
 個々人は本当に言葉を一方的に発するだけである。一対一の関係ではないので返事を待つものでもなく、言葉の内容も大したものではない。
 しかし、フォローすることで他者の一方的な言葉を受け取る。マクロに見れば言葉は交換され、一般交換となる。発言に対し返信をする、限定交換の機能もあるが、なくなってもツイッターの本質は変わらない。利便性のために後から付けたおまけ機能に過ぎない。
 ツイッターのシステム自体は非常にシンプルだ。一般交換の構造をそのままプログラム化したようなものなのだ。まるで開発者は社会学か人類学を学び、一般交換をシンプルにモデル化してプログラムに変換し、流行ると知っていてリリースしたかのようだ。
 一方チャットは限定交換の構造をそのままプログラム化したものと言える。しかし、こちらは利便性から遍在しているものの、「流行っている」という表現にはそぐわない。
 一般交換の構造を持つシステムはまだある。その最たるものがニコニコ動画のコメント機能である。同期ではないため、一対一のやり取りはほぼ不可能で、実際にはコメント機能で出来ることは一方的な発言だけなのだ。それによってコメント機能の構造は純粋な一般交換に近いものとなっている。
 ニコニコ生放送のコメントだと同期しているため限定交換が可能となるが、人が集まるほど個の特定が面倒でやはり限定交換は非常に難しいため、非同期のコメントと同じように機能し、そこで行われているのは一般交換だと言える。
 視聴者の人数が少なければ例外的に限定交換が容易となるが、それは「馴れ合い」と呼ばれ、やはり例外的な扱いを受ける。また後述の理由もあり、そういった一般交換用のシステムの上で行われる限定交換に嫌悪感を抱く人もいる。
 したがってニコニコ動画は基本的に一般交換のシステムなのだ。だからドワンゴが「ニコニコする」と表現している、何かにコメントを付けるという行為の本質は、一般交換を行うということかもしれない。
 しかし、ドワンゴが最近推し進めているリアルとの繋がりを深める事業は、しっかり考えてやらないと限定交換寄りのシステムとなってしまう。そのせいで現時点でも「なんか違うんじゃないか?」と思っている人もいるだろうし、嫌悪する人もいるだろう。
 まぁ、しっかり考えながら試行錯誤すれば、ドワンゴなら上手くやるんじゃね? というのが私の考えではあるけれど。

一般交換は流行る。流行るは一般交換

 2ちゃんねるなどの掲示板のシステムは、ほぼ一般交換と言える。スレッドは特定の個人とのやり取りの場ではない。スレッドは集団を規定するための区切りである。書き込みは基本的にその集団自体に向けられたもので、個人に対するものではない。また、個人に対して発しても集団の構成要員にも平等に届いてしまうので限定交換の要素は薄れる。
 チャット、掲示板、ツイッター、これらは文字を時系列順に並べるだけのシステムだ。構成している要素はどれも同じだ。しかし、構造に限定交換と一般交換という大きな差がある。そして限定交換のチャットは流行らず、一般交換の掲示板とツイッターは流行った。これは偶然ではないはずだ。一般交換は流行るのだ。
 限定交換はやはり二者の間で完結してしまうのが流行らない理由だろう。そして集団を形成しない。それに対し一般交換は必ず集団を形成する。したがって一般交換は社会を形成するアーキテクチャと考えられる。ならば人が常に社会を作ろうとする限り、そのためのアーキテクチャを獲得しようとするのは当然の流れだろう。そして「流行」という現象自体もまた一般交換であり、社会を作るアーキテクチャなのである。

CGMも一般交換

 ニコニコ動画のようなユーザーがコンテンツをアップロードして作られるメディア、CGM(コンシューマージェネレイテッドメディア)もまた、一般交換と言える。アップロード者が出来ることはアップロード、つまり与えることだけであり限定交換は出来ない。ニコニコ動画の場合、そこにコメント機能があり、さらなる一般交換のレイヤーが加えられている。集団を意識させるアーキテクチャが二重に働いているのだから、非同期にも関わらずあの異常な一体感、連帯感、共有感が生まれるのも当然だろう。

嫌儲の正体

 CGMで良質なコンテンツがあると、享受したユーザーは何らかの報酬を与えたくなる。それは人間の持つ互酬性に由来する感情だ。贈り物をもらったらお返しをしたくなる、あの感じだと思っていい。
 しかし運営サイドが「それならばアップロード者にお金が行くようにしようか」という話をすると、途端に反感を買う。「嫌儲」というやつである。
 嫌儲はネットの性質だと考える人が多い。だがそうではない。嫌儲はCGMの性質なのだ。
 そもそも嫌儲は何を嫌っているのか。ユーザーが金儲けすることでもなく、他人の幸福でもない。コンテンツに相応の対価が支払われることだ。
 それは何を意味するのか。等価交換であり、つまりは限定交換なのである。対価によって一般交換であるものが限定交換に変わってしまうのだ。そのせいで集団の構成要員は嫌悪感を感じてしまう。
 人は社会性を持つ生き物で、一度作られた集団には個人の意思とは関係なく、その集団を維持しようとする力(※学術的名称は忘れた)が働く。
 したがってその集団を形成するアーキテクチャである一般交換にも維持の力は働く。そして一般交換のシステムであるCGMにおいて、それが一般交換でなくなろうとする力が働いた場合、構成要員は一般交換を維持しようと反発する。それが嫌儲の正体だ。決して嫉妬なんかではない。
(まぁ、中には本気で嫉妬している人も少なからずいるだろうけど、それは個人の人格の問題なのでどうしようもない)
 ネットにはCGMが多く、一般交換が盛んに行われている。また、人が意見を交わす場所は大体CGMである。それによって嫌儲がネット自体の性質だと誤解する人が多いのだ。
 CGMでなく、かつ一般交換にも当てはまらなければ嫌儲の性質は現れない。初めから商品の販売を目的とした場所なら、コンテンツに対価を払うことに反発はないのだ。だが今現在、ネットで商業デジタルコンテンツがあまり売れていない。その点からネット全体に嫌儲が蔓延していると考えてしまう人もいるだろうが、私は違うと言いたい。

ニコニ広告はすごい

 良質なコンテンツに出会ったとき、人はどうしても互酬性から来る感情を抱いてしまう。何か与えたくなってしまうのだ。それが「自分もアップロードしたい」というクリエイティブな方向へ進めばCGMにおける一般交換の好循環への一因となり得る。しかし、互酬性がクリエイティブに作用する人間の割合はそれほど多くない。大抵の人間は互酬性を持て余している。
 その余った互酬性を収益に変換する装置がニコニ広告である。ニコニ広告とは、ユーザーがお金を払って気に入った動画を宣伝できる機能である。そのお金は全額運営に渡る。一見ふざけたシステムにも思えるが、実は優れた構造を持っている。
 アップロード者にお金が行くシステムだと限定交換となってしまうが、全額運営に行くために完全な一般交換になっているのだ。ニコニコ動画が作る社会を前述した集団ABCに当てはめればわかりやすい。
 まずA(運営)がB(アップロード者)に発表の場を与える。B(アップロード者)はC(ユーザー)にコンテンツを与える。C(ユーザー)はA(運営)にお金を与える。見事である。ニコニ広告のビジネスモデルは実に見事である。CGM、コメント機能の上に乗っかる第三の一般交換レイヤーだ。
 ネットでお金を使う人が少ない現状でそれなりに成功してるのだから、今後ネットでの商業が発展し、ネットでお金を使う人が増えればニコニ広告はかなりの収益を得られるに違いない。それほど一般交換というのは誰にでも作用する、強い力なのだ。コミュニケーションを軸としたウェブビジネスを展開する場合、成功するか否かは一般交換というアーキテクチャの有無に懸かっていると言っても過言ではない。
(この部分も2009年に書いたのだが、ニコニ広告は2012年になってもやはり好調のようである)

企業がCGMで儲けるには

 企業がCGMで儲けるには、やはり広告だけでは厳しいものがある。何とかしてユーザーから直接お金を頂戴しなければならない。
 しかし、投げ銭のようにコンテンツへの対価を払うシステムを作るとアップロードという行為自体が一般交換ではなく限定交換的な意味合いを帯びてしまい、嫌儲の問題が出てくる。
 有料会員制もよくある手だろう。たしかにプレミアム会員の仕組みはCGMで儲けるための一つの答えである。しかし、それはあくまで一部の超人気サイトに限る話であり、多くのCGMに当てはまるような、普遍的な答えではない。それはニコニ広告のようなシステムも同じで、人気を利用した力技は常套手段であるが普遍性に乏しいのだ。
 ではその答えはどこにあるのか。やはり一般交換しかないのである。一般交換システムの中で儲けるには、一般交換システムの儲け方しかないのだ。つまりはお金の支払いを一般交換的にするのだ。
 わかりやすく言うと、ユーザーに「対価を支払う」と感じさせない方法でお金を使わせるのだ。不特定多数の間でお金を「与え合う」と感じさせるシステムだ。
 もちろん結果としては投げ銭させて手数料を取るのと何ら変わらない。しかし、ユーザーの心理としては全く別物だろう。おそらく「投票」や「投資」に近い感覚でお金を使うことになる。
 そうやって一般交換的にお金を使わせる方法はいろいろあるだろう。自分自身で手を出してみたい領域でもあるのであえて具体的には言わないが、とにかく各企業の創意工夫によって様々な一般交換的な金銭巻上げシステムを作り出せるはずである。だから企業には諦めの言葉として「ネットは儲からない」だなんて言わないでもらいたい。

 それにさ、同じことグーグルの前でも言えんの?

私が一番言いたいこと

 それにしてもネットと交換論を絡めて論じる人がいない。ツイッターと一般交換を絡める人も見つけられずにいる。私としてはもっとモースやレヴィ=ストロースのコミュニケーション論とネットを絡めて論じてくれる人が増えてほしい。私には大した学術的知識もなく、運用できるのは新書で読んだ程度の知識だけだからである。要は本読み漁るのめんどいから教えて! という訳である。
 と、述べてみたものの、一番言いたいことはそこじゃない。
 私が言いたいのは以下である。

 現状、わりとネットは儲からない。

 それは認めなければならない。ウェブで人がダイナミックに活動しているのに経済活動はそこまで活発ではないのだ。
 しかし間違っている。それは絶対に間違っている。
 だから私は「儲からないネット」へのレジスタンスでありたいのだ。
 ウェブで生きることが、リアルで生きることに繋がるようにしたいのだ。

 こんな「儲からないネット」なんか、爆破してやりたいのだ!