「過去を責める」なんては生産性の低い人がやること

過ぎた事に対し、「なんでそうしたのか」「あれは良くなかった」と責めることはよくある。しかしそれをなるべくやめてみようと思う。

そうした「過去を責める」という行為自体が、責められるべき行為であるかもしれないからだ。

Googleが明らかにした生産性の鍵

生産性の高いチームと低いチームの違いは何か。かつてGoogle社がそれを調査し、発表した。

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端的に言えば、Google内では個人の能力やチームのルールは生産性に関係なく、「心理的安全性」の有無が生産性の鍵を握るということらしい。つまり、「こんなことを言ったら馬鹿にされないだろうか」「これをやったら怒られるかもしれない」という不安を抱かせないことが重要なのだ。そういった雰囲気を育んでいるチームほど、生産性が高いという。

自分のためにも心理的安全性の高い環境を作る

心理的安全性が鍵を握るのはチーム単位の話であるが、個人が自らの生産性を高める場合にも無視できない。心理的安全性の高い環境に自らを置くことで、能力に変化がなくとも、結果に違いが出ることが予想される。だから個人的に生産性を上げたいと思う場合でも、自分のいる環境の心理的安全性を高める努力は有効であると思われる。

では心理的安全性の高い環境を作るにはどうしたらいいか。そこが問題である。既にあるものを理解するだけでは力にならない。理解したことを咀嚼し、これから起こることをコントロールする力に変えないと、すべての知識は雑学に成り下がる。

たとえば前述の

  • 「こんなことを言ったら馬鹿にされないだろうか」
  • 「これをやったら怒られるかもしれない」

で考えてみる。どちらも不安視しているのは、自分の行為の後の他人のアクションである。だからこの場合だと、行為の主が「馬鹿にされる」「怒られる」というのを想定しない環境が望ましいということになる。

不安視される他人のアクションをさらに抽象化すると、「責められる」あたりではないだろうか。つまり、行為の後に「責められる」というのを想像させないようにするのが良い。

さらに行為の主を他人にしてみると、自分が取るべき行動が見えてくる。他人の行為を後から自分が「責める」だろうと思われてはいけないのだ。そう思わせないためには、そういうことをしないのが手っ取り早い。この行動指針をひとことでまとめると、「過去を責めない」 である。

仮説として設定してみる

「過去を責めない」 以外にも生産性の高い環境を作るための方法は他にもいろいろあるだろうが、これはなかなか汎用性が高そうだ。職場や家庭だけでなく、自分を取り巻くすべての環境が自分に影響している。そのため、汎用性の高さはかなり重要である。

ただ、 「過去を責めない」 は行動指針としてシンプルでいいが、もっと脳にこびりつく表現にしないと徹底するのは難しそうだ。言うのは簡単だが、実践するチャンスに気付いて実行していくのは簡単に出来ることじゃないのだ。

そういうわけでもうちょっと表現を強くして、 「『過去を責める』なんては生産性の低い人がやること」 という仮説を自分の中に設定してみることにした。それが生産性の高い環境作りに役立ち、自分や周囲の生産性を向上させると信じて。