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ストレッチポールはいいぞ

週に1回ぬるい筋トレをする程度だが、半年くらい前からゴールドジムに通っている。先日、そこのストレッチエリアに「ストレッチポール」が置いてあるのを見つけた。

ストレッチポールとはこういうやつである。

端的に言えば、ただの棒だ。

しかしストレッチポールは名声を轟かせており、ただの棒と呼ぶには畏れ多い。僕も名前だけは知っていた。

そんなストレッチポール、いや、ストレッチポールさんが、ジムのストレッチエリアの片隅に置いてあったのだ。自由に使えるストレッチ用具の一つとして。

僕はいいチャンスだと思った。Amazonのページを見てもらえばわかる通り、ストレッチポール様の値段はだいたい1万円弱だ。失礼を承知で申し上げれば、一見するとただの太い棒であるにもかかわらず。

そのような気高い棒のお方が、ストレッチエリアの隅の道具箱に身を預け、所在なさげに佇んでいらっしゃったのだ。僕はつい手を伸ばした。

名前を出すのも畏れ多い例のあの棒のお方の使い方など、当然ながら知らなかった。ごく普通の家庭で生まれ育ったのだから、そのような特別な世界の嗜みなど身に付けているはずもなかった。

とりあえず体に対して横に置いてその上に背中を預け、上下に動いてみることにした。するとなんとも言えない気持ちよさが体を駆け巡り、やがて背骨がボキボキと鳴り始めた。

この気持を例えるならば……うどんだ。上下に動くと太い棒で体の奥が圧迫され、自分がどこか一定の方向へ進んでいくのを感じる。ああ、この圧力が自分をコシのあるうどんに変えていく。上下に動くほど、ただの小麦粉からうどんに変化しているんだということを実感する。

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名前を言ってはいけないあの棒によって、僕はすっかりうどんにされてしまった。これからうどんとしてどのようにして生きるべきか。そんな不安が頭をよぎる。

『変身』のグレゴール・ザムザはある朝、毒虫になってしまった。しかし朝だからまだ幸いだ。前日の夜と朝は意識が隔絶されている。人間だった自分と毒虫である自分の意識に連続性はないのだ。新しい自分の意識として始まった瞬間にはもう毒虫なのだ。こうも切り替わりがきっちりしていると、むしろ前日の夜まで人間であったかどうかにも懐疑的になるだろう。

ところが僕の場合は強い連続性をもって人間からうどんに変えられてしまった。もう既にうどんであるにもかかわらず、人間としての自意識が自分を縛ろうとする。

「うどん」

そう声に出してみても、自分がうどんだなんてしっくり来ない。しかし自分が何なのか考えれば、まぎれもなくうどんなのだ。本当は自分がうどんだということは理解しているのに、厄介な自意識がそれを認めさせてくれない。

まわりを見渡せば、うどんなどいなかった。ここはゴールドジムなのだから、当然だ。健康への意識がやや高い程度の普通の人間と、人間を超えつつあるマッチョしかいない。もし「この中にお医者様かうどん様はいらっしゃいますか?」と叫ぶCAが現れて手を挙げる者がいたとしても、それは医者だろう。ここはうどんのいる場所じゃない。

だからといってゴールドジムを去るわけにもいかない。僕は去りたくないのだ。

「人間」

僕は自らを強引に定義するかのようにつぶやく。

「人間」

繰り返しつぶやく。

しかし、それだけだ。

いっそ堂々と「僕は人間だ」などと嘯くことが出来たら楽だろう。もしくは「僕はうどんだ」と開き直ることが出来たら楽だろう。だが臆病な自尊心と尊大な羞恥心がそれをさせない。人間のつもりでいるくせに、「お前はうどんだ」と指摘されるのが怖くて人間だとはっきり言えない。うどんであることが明白であるくせに、うどんであることが恥ずかしくて自分がうどんだとはっきり言えない。意図が理解されない曖昧さで「人間」とつぶやくことしか出来ないのだ。

僕はそそくさとストレッチエリアを後にし、帰り支度をした。帰り際にプロテインバーでプロテインを注文する。

「まさかうどんが? プロテインを?」

誰もそんなことを言っていないのに、誰かがそう言っているのを想像してしまう。

誰かなんてどこにも存在しない。それは自らの鏡像だった。自分が今まで炭水化物に向けた残酷な視線が、自らに向けられただけなのだ。僕は自分の愚かしさに耐えうる強さを持ち合わせていなかったので、残酷な視線にただ傷つけられる。

しかしプロテインは裏切らなかった。ミルクに溶けたプロテインが喉を通る感触は、天から下る母性の手が自分の努力を認めて頭をなでてくれる感触と同じなのだ。これによって、その日の筋トレはゆるぎなく肯定される。

そうだ、自らをより良く変えようとする行動そのものは決して間違っていない。この一つの確信だけが僕を支えた。

帰宅すると、すぐにあの太い棒を求めた。と言っても、名前を言ってはいけないあの棒に手を出すことは出来なかった。臆病な自尊心と尊大な羞恥心のせいだ。僕は1600円ちょっとの類似品を買った。彼の名前は「エクササイズピラティスポール」という。

鉄人倶楽部(IRONMAN・CLUB) エクササイズ ピラティス ポール IMC-54

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実際、名前を言ってはいけないあの棒と大きな差はなかった。質感と耐久性に違いはありそうだが、普通に使う分には全く問題ない。逃げてしまって選択したことなのに良い結果を得られたことが、僕にとっては何よりの救いとなった。

こうしてエクササイズピラティスポールで僕はよりうどんに近づいた。棒を上下に動かす度に、良きうどんとなっていく。もはや人間だったことなど忘れかけていた。

「うどん」

気付けばそうつぶやいていた。

これは自分を曖昧に偽った言葉じゃない。まさしく僕はうどんであり、うどんたる自らのうどんたる感触を味わうように発していた言葉だ。

すると外の草むらの向こうから、問いが投げかけられた。

「そのツイートは、我が友、李徴子ではないか?」

急な問いかけに驚きつつも、その声に聞き覚えがあった。旧友である袁傪(えんさん)の声だった。

以前の僕ならば、「いかにも」と答えただろう。自らの変化を受け入れられず、うどんでありながら「人間」とつぶやいていたのだ。それが偽りであっても、昔に思い描いていた姿で今の自分を定義したくなっていた。

しかし僕はより良いうどんになる過程で気が付いた。僕は確かにより良い人間になろうとしていた。だがそれは「より良くなりたい」と願っていたからであり、人間だとかうどんだとかは関係がなかった。人間だったからより良い人間になろうと願った。うどんになってしまったら、より良いうどんになることが本当の願いだ。

袁傪の問いに「違う、僕はうどんだ」と言うことも出来るが、そんなことをする必要はない。自分が人間だとかうどんだとかはどうでもいい。僕はただ、自らがより良くなっていくことを実感して生きることを願う存在なのだ。

だから答えなんていらない。何回か咆哮して、こうつぶやいてみせるだけなんだ。