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「初音ミクって何がすごいの?」という問いに答えられるか

 ――初音ミクって何がすごいの?

 もしあなたがそう問われたら、どう答えるだろうか。
 もしくはあなたがそんな疑問を抱いたとき、どんな答えなら納得するか。


 少なくとも僕は明確な答えを提示できないし、すんなり納得できる答えに出会ったこともない。
 しかし過去のツイートなどを元に、僕が今まで初音ミクに対して思ったことをはっきりさせてみたい。
 

調教されているのはどっち?

 ここでなぜ僕は「ボーカロイド」というくくりでなく「初音ミク」というくくりで語るのかを言っておこう。
 僕は各ボーカロイドに差異化するほどの個性はないと思っている。
 初めて鏡音リンの声を聴いたとき、「初音ミクじゃん」と僕は思った。そして他の新ボーカロイドが出てきたときも似たようなことを何度か思ったことがある。ニコニコ動画のコメントでも同じようなことを思った人はちらほらいた気がする。
 今からするとそれは実に不思議である。初音ミク鏡音リンの声は全然違う声なのだ。なのに同じように聞こえていた。
 おそらく、僕は単なる慣れによって聞き分けられるようになった。よほど初音ミクを聴き込んでいる人はちょっとの違いがあれば即座に他のボーカロイドだと認識できるだろうが、ぬるい初音ミクリスナーはきっと僕と似たようなものだろう。
 つまり客観的にはボーカロイド間に大きな差などなく、実際は声の個性など微々たるものなのだ。あくまでリスナーが慣れによって見出しているものであり、世間一般に聴かせても揺るがないほどの特徴はない。
 だから僕はここでボーカロイド全般を語るにしても「初音ミク」でくくってしまおうと思う。
 それにまぁ初音ミクという存在が一番象徴的でわかりやすいんだし、いいよね?

ぶっちゃけて言えば

 さて、本題に入ろう。
 ぶっちゃけて言えば初音ミクの「歌声」はすごくない。
 技術的にすごいのは確かだし、ボーカロイド間の差は乏しいとしてもロボ声とアニメ声の絶妙なバランスを成し遂げて全体として「ボカロ声」とも言えるような個性を獲得しているのはめちゃくちゃすごい。それは人と同じ土俵に立つ資格が十分にあると思えるくらいすごい。
 しかし、人と同じ土俵に立てるからと言って、人に勝てるわけじゃない。人とかソフトとか考えず純粋に「歌声」として聴けば、初音ミクがすごいとは到底言い難い。
 ボカロ声やキャラクター性が少なからず初音ミクの魅力となっているのは確実だろうが、「初音ミクって何がすごいの?」と聴かれて「歌声がすごい」と答えるのはどうも的確ではなさそうだ。

初音ミクはビジュアルだけで勝負できただろうか

 初音ミクは一目で初音ミクとわかるビジュアルである。しかし、ビジュアルがすごいから初音ミクがすごいという訳でもないのはまぁ明白だろう。
 言葉は悪いが、「いかにもオタクっぽい感じ」を上手くまとめたという風なキャラクターデザインなのである。
 その点が後述する初音ミクのすごさに寄与しているとは思うが、やっぱり「初音ミクはビジュアルがすごいからすごい」とは言い難い。

文化的広がりは間違いなくすごい

 初音ミクのすごさは文化的広がりだと言っても過言ではない。本当にすごいのだ。
 文化的広がりとは、いちいち書いて説明するのが面倒なくらい裾野の広い二次的創作だ。二次創作と言うとまた別の意味を帯びてしまうので、二次的創作と言っておく。
 具体的には初音ミクを一種のジャンルとした音楽、動画、イラスト、漫画、小説等である。ネットでよく見かけるだろう。それらは互いに影響しあい、そして発展している。ただの音楽ソフトがこうなるというのはとてつもなくすごい。
 しかし、「初音ミクって何がすごいの?」という問いは「初音ミクって何であんなにすごい文化的広がりを成し遂げてるの?」という要素を多分に含んでいるため、「文化的広がりがすごいから初音ミクはすごい」と答えるのはちょっと間違っているだろう。

借りて・真似して・流行って

 ではなぜ初音ミクはそういった文化的広がりを持つに到ったのだろうか。
 レヴィ=ストロースいわく、文化は「借用・模倣・攪拌」によって成長する(うろ覚え)。リチャード・ドーキンスも似たようなことを言っていたと思う。
 初音ミクニコニコ動画というプラットフォームによってこの三点をうまいこと獲得した。
 初期のニコニコ動画はユーザーの著作権意識が非常に低く、そのおかげで他人がアップロードしたコンテンツに手を加えて楽しむということがごく当たり前に起こっていた。ニコニコ動画全体で「使用元の動画IDを説明文に加えておけばOK」という空気だったのだ。つまり、「借用」にあたる行為が容易だった。
 そのため初音ミク楽曲も歌ったりBGMにしたりということが気軽に行われた。法的にはどう考えてもOKなわけがないのだが、その自由な空気は割と今も維持され、初音ミクは「借用」という性質を維持し続けている。
 また、誰かのコンテンツの面白い要素を「模倣」して自分のコンテンツに取り込むということが頻繁に行われた。それはコンテンツの方向性だったり、キャラクター、ビジュアル、小ネタ等で、初音ミクの「ネギ」なんかは「借用」か「模倣」かは曖昧だが、そういった要素を別の人が使ってもあまり「パクリ」とはされなかった。むしろ喜ばしいこととして「模倣」があたりまえになった。
 そして「攪拌」である。これは主にランキングや検索結果などによってもたらされた。このニコニコ動画の攪拌作用は多くの文化を生まれさせたほどに強いものである。

 初音ミクにこういった「借用・模倣・攪拌」というのが備わっていることはすごすぎるくらいすごい。
 しかし、しかしだ。このすごさは初音ミクというより、ニコニコ動画のものだろう。ここに他の初音ミク考察に納得できない点がある。
 初音ミク文化についていろいろ言っているものの多くが、「結局はそれって他のニコ動文化と同じってことだよね」という一言に集約されてしまう。「初音ミク」を取り上げて「ニコニコ動画」を語っているにすぎないのだ。ニコニコ動画において同じようにして文化的広がりを持つようになったものは他にもたくさんあり、恐らく多くの言説が初音ミクを「東方project」や「アイマス」、もしくは「パンツレスリング」に置き換えてもだいたいあってる。
 あくまでニコニコ動画のすごさに初音ミクが乗っかったのだ。したがって「初音ミクって何がすごいの?」の答えにはまだたどり着かない。
 だがすごいのがニコニコ動画だからと言って、ニコニコ動画に乗っかれば何でも流行ったりする訳ではない。やはり初音ミクに何らかのすごさがないと長きに渡って流行り続けるはずがないのだ。
 だから一体どういった初音ミクのすごさがニコニコ動画のすごさに乗っかったのかを考えなくてはならない。

歌の向こう側には誰がいるか

 で、本題の本題なのである。
 僕が思う初音ミクのすごさは、歌に作家性を生じさせたことだ。これは革命的と言ってもいいだろう。
 作家性とは、受け手が作品を享受したときに誰を感じるかと言うことだ。ざっくり言えば作品の向こうに誰がいるかということである。
 では歌の向こう側にいるのは誰か。それは言うまもなく歌手だ。ごく普通に声を聴いて声の主でなく作曲者の顔が思い浮かぶのは専門家、もしくは天才くらいだろう。そうでなければ病院に行くべき人だ。歌というのはそれほど歌手の存在が大きい。向こう側に歌手が見える音楽を歌と言ってもいいかもしれない。
 だが初音ミクの楽曲はどうだろうか。まず聴いて初音ミクの存在が見えるのは確かだろうが、その向こうに作曲者の存在が透けて見えないだろうか。そして最終的に聴き手が見ているのは作曲者ではないだろうか。
 たとえば人が歌っているのを聴いて感動したとき、賞賛を送る相手は歌手だろう。そんなことは当たり前じゃないか、と思うかもしれない。
 では初音ミクの曲を聴いて感動したとき、聴き手は一体誰に賞賛を送っているか。
 初音ミクじゃないのである。
 ぞっとするような事実ではないか?
 歌なのに。確かに歌なのに、聴き手は初音ミクという歌手を見ていない。
 歌なのに、聴き手には歌をデザインした作曲者が見えるのだ。普通そんなのは聴き手が高度な音楽教育を受けていたり作曲者のファンであったり、もしくはよほど曲が奇抜で歌手が没個性である場合に限られる。
 要するに歌はそれまでそう簡単に作家性を持ち得ないものだったのだ。どんなにいい歌でも、作家性に満ち溢れた歌でも、「歌手がすごい」が一番に来てしまう。これはシンガーソングライターですら打ち破れなかった壁だ。
 その壁を簡単に壊してしまった存在こそ、初音ミクなのだ。
 正確に言えば、その壁を透明にした。イメージとしては、初音ミクは歌の向こう側にあるガラスに描かれているのだ。初音ミクは透明なレイヤーであると言ってもいい。そうしてそのさらに奥にいる作者の存在が透けて見えるようになっている。
 歌の向こう側に作者が見えるのは、初音ミクが人ではないからということもある。しかし、人ではないが完全に歌手としての個を失っているわけではない。
 このバランスも重要だ。歌の向こう側に歌手を全く感じなければ、おそらく聴き手は作曲者の存在が見えてもその歌を歌として受け取ることが難しいだろう。実際初音ミク以前にも歌うソフトはたくさんあったが、初音ミクのような存在にはなれなかった。単なるしゃべる楽器に過ぎず、歌ってもそれは「歌」という表現と似て非なるものなのだ。聴き手は打ち込みの曲を聴いているような印象を受けるかもしれない。
 それに対して初音ミクは透明であるが「キャラクター」によって個を維持し、歌の向こう側に歌手として立ち続ける。それによって歌が歌らしさを失わずにいるのだ。これはすごい。いや、これがすごい。
 また、初音ミクの人気によりカイトとメイコという過去のボーカロイドもキャラクター性を獲得し、後天的に歌手となってちゃんと「歌」を歌えるようになった。それまではしゃべる楽器でしかなかったように思える。
 それだけでなく、今や「ボーカロイド」自体がキャラクター性を帯びており、無名のボーカロイドだろうが本当に単なるしゃべるソフトだろうが、ボカロを聴き慣れている人には歌がちゃんと「歌」として届いているように思える。

初音ミクって何がすごいの?」にどう答えようか

 僕としては上記の「歌に作家性を生じさせた」という答えが一番しっくりくる。
 だが、そんなんでいいはずがない。

初音ミクって何がすごいの?」
「歌に作家性を生じさせた」

 ……ちょっとノリが違う気がする。何よりわかりにくい。
 と言うことで、別の表現を考えてみる。
 まず考えられるのは、「再現芸術と創造芸術」という言葉だ。なるべく簡単な言葉と概念を使ってきたが、ちゃんとした言葉で言えばここまでで僕が言ったことは「再現芸術と創造芸術」についてであったと言っても差し支えはない。なので今度はストレートに「再現芸術と創造芸術」という観点で捉え直してみよう。
 再現芸術とは演劇や演奏などである。台本や楽譜を再現することで行う表現だ。「演」という字がまさにそういう意味合いで使われているだろう。
 一方で創造芸術とは小説や絵画など、作り終わったら作品として完成してそれでお仕舞いという表現だ。
 では歌はどちらか。当然演奏と同じく再現芸術だ。それは録音だろうと変わりない。
 やはり感銘を受けたときの反応がわかりやすいだろう。歌は「歌ったこと」を褒めるのか、「作ったこと」を褒めるのか。マニアックな人以外は前者だろう。小説や絵画は「発表したこと」でなく、「作ったこと」がまず褒められる。
 ところが電子音楽の登場がこの線引きを変えた。音楽でありながら演奏者の存在を消し、作者の存在を浮き彫りにした。CDに収録された表現は「曲の再現」でなく、「創造した曲」になった。
 だが「歌」という特殊な存在を創造芸術にすることはできなかった。ソフトに歌わせて創造芸術に変わったら「歌」という感じでなくなってしまったのだ。
 で、そこに初音ミクがやってきて歌を創造芸術に変えることに成功してしまったのだ。歌でありながら「歌う」という再現芸術の要素を消し、それでいて歌手の存在は消さないことで、歌は創造芸術になっても歌であり続けた。
 というわけで、これが回答の二つ目の候補。

初音ミクって何がすごいの?」
「歌を再現芸術から創造芸術に変えた」

 おわかり頂けただろうか?
 言葉が変わっているだけでノリは変わっていないのだ。こんなの口頭でいきなり言われても納得できるはずがない。
 なのでもう少し考えてみる。
 ここまで言ってきたことをまとめると、歌を創造芸術に変えて作家性を生じさせたということであり、要するに歌において歌手じゃなく作者の個を押し出せるようになったということだ。さらに言えば、歌が歌手でなく作者のものになったということだ。
 それを踏まえるとこうだ。

初音ミクって何がすごいの?」
「歌の主役を歌手から作曲者に変えた」

 だいぶわかりやすい感じになったのではないだろうか。
 とりあえず僕にはここまでが限界だ。ここから先は本気で調べたりなんやかんやしないと難しい。「熱心なファンではないが初音ミク楽曲はたくさん知っている」という程度の超ぬるい初音ミクリスナーである僕にとって、それはかなり大変なことだ。それにそこまで本気出して取り組んでしまったら楽しくなくなる。
 よって「歌の主役を歌手から作曲者に変えた」初音ミクって何がすごいの?」に対する「それっぽい答え」として僕は掲げたい。「明確な答え」は他の人に任せた。

おまけ

 というわけでこのエントリーの主題は解決(?)したのだが、ちょこっとおまけ。
 今あるものにああだこうだ言うものいいが、なんかこう、無駄に未来へ向かって考えたりもしてみたいのだ。建設的な意見と言うほどに建設的ではないが、とりあえずなんか言っておきたい。

初音ミクがこの先生きのこるには

 かつて作曲者は打ち込みやシンセサイザー等で曲において作家性を獲得した。これはすごいことであったはずだ。今や電子音楽の分野は強烈な自我の発露の場である。「エレクトロニカ」なんていうキラキラしてそうなジャンル名の割に、どこまでも内省的な曲を作れるからだ。
 そして今度は初音ミクによって作曲者は作家性を獲得したのだ。
 ただ、問題がある。電子音楽と違い、初音ミクはあまりにもサブカルチャーに寄りすぎている。オタク寄りと言ってもいいだろう。
 それ自体は別に悪いことではない。しかし、そのままではやはり面白くない。現状ではもともと免疫や適正がある場合以外、初音ミクのオタク的要素に慣れ、歌声に耳で慣れ、そこからでないと初音ミクの良さを味わうことが難しい。それでは電子音楽ほどの衝撃を世界に与えられない。ごく自然に聴けてしまえて、それでいて何よりも新しい。初音ミクがそんなレベルまで達すればきっと世界を変えられる。
 そのためには技術的な面でさらに向上しなければならないのは当然だが、それよりも文化的な地位を獲得することが必要だと思う。
 初音ミクを指し示す言葉が「初音ミク」「ボーカロイド」なんていう狭い範囲の言葉だけではいけない。もっと広い範囲を指し示す言葉を獲得しなければならない。言うなれば、「ボーカロイド」よりさらに上の階層に位置するタグだ。そうしてその言葉で一般的な音楽の一角に場所を得れば、そこから初音ミクと一般的な音楽は今のような隔絶された関係でなく、シームレスになるだろう。
 電子音楽で言えばそれは「テクノ」という言葉だ。電子音楽と言っても千差万別でそう簡単に十把一絡げには言えないし、他に的確な言葉はあるかもしれないが、少なくとも世間一般にはその言葉が電子音楽の概念を与えた。そうなってしまえばもはや人の頭の中に席を得たようなもので、今日のようにJ-POPに何の楽器か全く不明な「テクノ」っぽい音があってもごく自然に受け入れられる。
 だから初音ミクは世間一般の末席に座るための言葉を獲得すべし!
 おわり!

【追記】
・僕がかなりいい加減に書いている部分を真面目に書いてくれている記事。
 初音ミクと見せかけの魔法

・この記事の本文では面倒なので省きましたが、初音ミクの発売当初はキャラクターの側面が強くて作家性が透けて見えることはなかったと思います。最初から「しゃべる楽器」ではなかったのですが、逆に「歌うキャラクター」でした。つまりまだ歌手>作家の構図を打ち破れなかったのです。
 では一体どのようにして打ち破ったのかは下記のエントリあたりで。
 初音ミクという神話のおわり

・さんざん理屈をこねて遊んでますが、僕としてはやっぱり歌のチープ革命初音ミクの一番すごいところかなぁと思っています。
 つまり、「初音ミクがあれば歌がうまくなくてもいいし、そもそも歌わなくても自分の歌を発表出来るんだよ。すごくね?」という感じの答えですかね。
 ありきたりで大して面白くもない回答ですね。
 今後「初音ミクって何がすごいの?」に対するもっともっと面白い回答を誰かがしてくれることを願っています。


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