成功するために考えたい4つのこと

 世の中はうまくいかないことばっかりだ。うんざりするほどハードモードだ。

 

 でも、うまくいったことだって何度もあった。

 そんな時の自分を思い出してみた。すると、そこには共通する4つのことがあると気づいた。

 今回はその4つを紹介したい。

 

 何かで成功したいと思った時、以下の4つのことを意識しながら取り組んでみれば、より成功に近づけるはずである。

  

自信を持つ

  これはよく言われていることであるが、うまくいった時の自分は自信を持っていた。

 ただ注意すべきなのは、「きっと大したことない」とか「自分なら大丈夫」といったような過信や自惚れに近い自信ではないということだ。そういった類の自信は変化や逆境に弱く、何かイレギュラーなことが起こった時に実力を発揮できなくなってしまって失敗を導いてしまう。

 重要なのは「問題が起こっても何とかする」とか「今は駄目でも成長してみせる」といった、意志や覚悟に近い自信である。この類の自信は変化や逆境に強く、実力的に乗り越えられる問題ならばまず乗り越えられる。

 また、後者の自信は楽観的な心境をもたらしてくれるので、問題に対してあせらず適切な行動を取りやすい。

 

迷わない

 うまくいく時は、たとえ選択が間違っていても決断を迷わない。それによって小さな失敗を招くこともよくあるが、結果としては迷わないであれこれやったほうがうまくいっている。

 

 自分がうまくいかない時、もしくはうまくいかない人に目を向けると、逆にとても迷っている。どうしようもなく駄目なパターンだと迷って迷って悩んで気に病んだりしている。

 そういった時に思考はどんなステージにいるのかというと、必ず「どうしたらいいかを考える」というステージに留まっている。

 誰しも「どうしたらいいかを考える」瞬間はある。どうすべきかわからない場合もある。しかしだ、そういった場合になんのフィードバックも得ていないのにまた「どうしたらいいかを考える」ことを始めてもしょうがないのだ。それは明らかであるのだが、うまくいかないパターンでは大抵それをやってしまっている。そして、「どうしたらいいかを考える」というステージに留まることこそ「迷う」ということである。

 どうしたらいいかわからない場合は、とにかく何らかのフィードバックを得なければどうしようもない。つまりは試行錯誤であり、とりあえずやってみて「どうしたらいいかを探る」というステージに行くのだ。「どうしたらいいかを考える」というのは単なる必須チェックポイントであり、ステージとすべきではない。倒すべき相手もゴールもない。そこに留まっていても得られるものはない。

 

質より量

 ほとんどの物事において、圧倒的に質より量が重要である。運頼みではなく、まっとうにうまくいっているパターンではまず量の確保がきちんと出来ている。

 

 逆にうまくいかない時はまず質を気にしがちだ。量の確保を第一に考えていないのだ。

 とにかくそこがいけない。

 そもそも物事に秀でるプロセスには、どう考えてもまず量が必要となる。秀でるということは質が高くなるということだが、量より前に質があるなんてことはないのだ。

 したがって質を高めたいと思っていても第一に考えなければいけないのは、量の確保だ。それが出来て初めて質にこだわることが許される。

 それなのに質を最初に考えるからうまくいかない。そんなのは成功してからやることである。

 

 こういうのは筋トレで考えるとわかりやすい。「正しいフォーム」とか「適切なウェイト設定」だとかは非常に重要である。ただし、それはあくまでしっかりと筋肉を使うということが前提となっている。馬鹿馬鹿しいほどに当たり前の話である。

 しかし、もうちょっと複雑なことになると途端にそれが出来なくなってしまうものなのだ。

 たとえ二者択一だとしても量を取るべきだが、こんなのは二者択一の問題ではない。量は前提であり、当たり前の話だ。そのうえで質にこだわるべきなのだ。

 成功は量の確保から始まる。

 

 よくある「ブログは量が重要なのか、質が重要なのか」という問題においても、その答えは明白である。たとえ質を重視しても、「じゃあどうやって高い質を実現すんの?」と考えていけば結局は量にたどり着いてしまうのだ。既に高い質を実現出来る人でも、継続的に評価されるためにはある程度の露出が必要で、やっぱり量が鍵となってしまう。

 したがってどうであれ、まず量を確保することを第一に考えるべきなのだ。

 悩んでる暇があるなら書け。

 それでも悩むなら悩みでも書いとけ。

 それでも駄目ならコーラック

 

不言実行

 出来ない時の主な発言→「したい」「する」

 出来る時の主な発言→「した」

 

 これは一種の真理である。

 

 たとえば英語学習だと、「英語を勉強したい」などと言ってはいけないのだ。言っていいのはあくまで「英語を勉強した」ということだけである。

 そもそも英語学習をしたいと思うのは、英語対して何らかのもやもやがあり、それを解消したいと思うからである。しかし、「英語を勉強したい」などと誰かに話してしまうと、それだけで英語に対するもやもやが少し解消されてしまうのだ。よもや意気込みなど口走ろうものなら、言葉とは裏腹に、気づかぬうちにモチベーションがだだ下がりする可能性がある。

 

 だから動機となるもやもやを行動以外で消費しないように、なるべく不言実行を心がけるべきなのだ。背負うものがない限り、有言はもはや呪いのごとく成功を遠ざけてしまうだろう。

 何かしたいと願う時に、そのエッセンスを具体的な言葉にして誰かに伝えるなんていうのは一番のタブーである。成功してからしか言ってはならない。

 

 

 ここで僕は気づいた。

 

 この記事、一番のタブーじゃないか……

 有言の呪いのせいで質の高い行動が出来なくなってしまった……

 ああ、どうしたらいいのか迷ってしまう……

 もうだめだ。僕は成功できない。