マストドンの真の強みはクラスタの可視化である

 近頃急にマストドンmastodon)なるものが流行り出した。以前から名前は聞いていたものの、僕は流行り始めからやや遅れた先週末にマストドンの盛り上がりを知った。
 マストドンTwitterを模倣したものであるが、調べるほどにマストドンはすごいものであるように思えた。
 そもそものTwitterの基本仕様はとてつもなく完成度が高く、もはやインフラとしての使用に堪えうるレベルにまで達している。となると、もはや本当のインフラに近づいていくのは必然だ。メールのように、決められたルール従ってみんなで乗っかるものになっていくのだ。
 その潮流に乗った大きな船としてマストドンがやってきた。

 

 ただ、ユーザーにとっちゃそんなことはどうだっていい。技術的な新しさだとか歴史的経緯だとか信用度だとか、そんなことは大きな問題ではないのだ。
 何が魅力か。ほとんどそれで決まる。

 

 じゃあ何がマストドンの魅力なのかと言えば、クラスタの可視化だ。インスタンスごとに何らかの方向性を持つようなアーキテクチャとなっており、いわばインスタンス=クラスタの性質を持つ。だからインスタンス内のローカルタイムランを見れば、クラスタの輪郭を簡単に確認できる。また、新規参入者でも発言すればそのインスタンスのローカルタイムラインに流れ、そのクラスタから存在が認知される。これは滅茶苦茶強い。
 Twitterクラスタは、基本的にはTwitter以外の場所での繋がりが基盤となっていることが多い。だからTwitterからクラスタ内の人間や発言を確認しようとしても難しい。そしてクラスタの人間をたくさんフォローしたとしても、新規参入者のつぶやきがクラスタから認知されることも滅多にない。

 

 クラスタが可視化されると、登録してから楽しさを感じるまでの流れもスムーズになる。
 Twitterに登録した場合、最初に有名人をあれこれフォローしろとうるさい。なぜそうするのかというと、最初に5人だか10人だかをフォローしたユーザーは継続率が高いというデータがあるからだ。それはつまり自分が興味を持つ人を何人かフォローしないと、継続に値するほどTwitterの楽しさがわからないということである。
 一方でマストドンは有名人をフォローしろだなんて言ってこない。必要ないからだ。インスタンス内のローカルタイムラインを見れば、クラスタの活動、つまり自分と興味が一致する人達の発言で満たされている。もうそれだけでTwitterが必死になって伝えたかったTwitterの面白さの半分は伝わる。ローカルタイムラインから好みに合った人をフォローするのも難しくないので、もう半分もすぐに伝わってしまう。うん、強い。

 

 インスタンス=クラスタというマストドンの性質を考えると、既にTwitter上に存在するクラスタを呼び込むと、たぶん強いインスタンスになる。活発なクラスタを呼び込むことで、活発なインスタンスを生み出せるのだ。Twitter上でも活発なクラスタであっても、クラスタ内交流の相性はマストドンの方が高く、ローカルタイムラインによって新規参入もしやすい。クラスタインフルエンサーをうまく呼び込むことができるかが鍵だ。
 逆に特定のクラスタを呼び込まないインスタンスは、強みを活かせないので長期的な運営が難しいだろう。黎明期なら「マストドン黎明期クラスタ」とでも言うべきものであるが、熱が冷めて日常のつぶやきが大半を占めるようになった時、クラスタが瓦解する。そうなってしまうと開墾し放題だったのが一転、Twitterと同じ土地を奪い合うことになる。倒し甲斐のある相手だが、とてつもなく厳しい戦いになる。

 

 そんなことを考えながら日本のインスタンスはどうなってるのかなと思って調べてみたが、この盛り上がりに対して既存のクラスタを呼び込んだ場所があまりにも少ない!

 

日本のマストドンインスタンスの一覧


 なんでだよ!
 もっと既存クラスタインスタンス化進めろよ!
 マストドンTwitterの墾田永年私財法だろうが!

 

 と叫びたくなるくらいマストドンの強みを活かしている人が少ないのである。マストドンの強みを僕がまるっきり勘違いしているのだろうか。それともインスタンスを立てている人の多くがマストドンの強みについて考えていないのだろうか。
 もし後者だったら面白いことになりそうなので、採算度外視でインスタンスを立ててみることにした。

 

 まずは正攻法として、既存のクラスタを呼び込む。オリジナル小説を書くクラスタにはすぐリーチできそうなので、彼らのためのインスタンスを作った。
 シンプルなkakudon.comというドメインが空いていたので、カクヨムあたりが取る前に取ってしまった。

 

 https://kakudon.com
 ※近日公開予定

 

 クラスタを呼び込むと言っても、ただ連れてくるだけじゃ駄目だ。参加者の振り分けが適切であるからこそ、クラスタとしての純度が高くなって面白くなる。
 だからそのクラスタの人に「自分のためのインスタンスだ」と感じさせ、同時にそのクラスタと親和性が低い人に「自分のためのインスタンスではない」と感じさせないといけない。つまりは明確なターゲティングと強い排他性である。
 排他性が強すぎると当然ながら人が集まらなくて全然面白くならないが、小説を書く人はそれなりに多い。とりあえずオリジナル小説を投稿したことのある人限定という、強めの排他性に設定してみた。
 インスタンスの人数が増えた時に、一瞥して自分の好みに合うかどうかを判断できないとスケールしないと思ったので、プロフィールに好きな作家か作品を書いてもらうようにした。こうして小クラスタを内包し得る仕組みにすれば、大きなクラスタに育っても瓦解しないのではないだろうか。

 

 そしてここからが本題。
 マストドンインスタンス=クラスタという性質から、もう1つのやり方も考えられる。
 それはインスタンスの方向性を明確にすれば、今まで存在しなかったクラスタでも作れちゃうのではないかということだ。
 コミュニティというのはある程度恣意的に形成されるものではあるが、上下関係がない場合には、その文化においてはやはり自然の成り行きで形成される部分が多い。だから「自分の理想の場」なんていうのを思い描いても、そういう場を見つけたり作ったりすることは滅多にできない。
 ところがだ、インスタンスの方向性はかなり作り込むことができる。となると、クラスタが持つ文化もそこそこ意図的に作れるのでないかと考えた。

 

 僕は以前から、オリジナルのWebサービスを作る人達のコミュニティが欲しいと思っていた。技術的なことじゃなく、面白いものを作ろうとする意志で繋がる場である。
 そういう人達の小さな集いはそこらじゅうにあるものの、それは見知らぬ人が気軽に参加できるような場ではない。それでは駄目なのだ。たとえばたった一人で誰とも交わらず開発を進めてきた人が、ふと同じ道をゆく人と話したかった時に話せる場所じゃないと駄目なのだ。リアルでの繋がりに依存せず、意志のみに依存する場が欲しいのだ。
 インスタンスの方向性をうまく設定して、なおかつ人を集めることが出来たら、もしかしたらマストドンでそういう場を作れるんじゃないか。
 そう思うと、今すぐ作らなきゃいけない気がした。

 

 oriwebdon.com

 

「オリジナルのWebサービスを作る人のためのMastodonインスタンス」を強引に略し、oriwebdon.comというオリハルコンみたいな語感のドメインにした。オリジナルのWebサービスを作る人のクラスタという概念を刷り込む役割もあるので、すっきりしたドメインは放棄した。
 また、知らない人に質問や助言をいきなり投げる行為のハードルを低くするためのルールを設定した。マニュアルに従って何かを制作するのではなく、自分の作りたいものを作る場合には、常に何かに悩まされる。そんなとき気軽に情報をくれる場があれば素敵じゃあないですか。そして自分が持っている情報を気軽に提供して貢献できたら素敵じゃないですか。そんな場所が欲しいんですよ。

 

 というわけでオリジナルのWebサービスを作る人は、是非オリWebクラスタインスタンスへ参加してください!

 

oriwebdon.com

 

追記

 技術的な問題でああだこうだ言っていた人でさえ、だんだんマストドンの凄さを実感してきたようだ。

cpplover.blogspot.jp

 

 マストドンの強みは新しいインターネットの境地を切り拓いていくのではないだろうか。

 

主人公問題

やっていき.fmの第7回を聴いている。

yatteiki.fm

まだ半分くらいしか聴いていないが、今週もとても興味深い話をしていた。

やっていき.fmのサイトには、「やっていき宣言」というのものがあり、そこの一文にこう書いてある。

モブよりも主人公 を、価値とする

今回出演していたgong023氏はそこに対して価値観の違いを感じており、自分なりの主人公観を語っていた。僕はその内容にとても共感できた。

詳細に述べるのは面倒なので、内容をざっくりとまとめたい。先程引用した一文では、自らのスペックで物事を打開していくタイプの主人公を理想としており、ともすればモブにあたる人物を軽視しているとも取られかねない。一方gong023氏は、誰よりも悩んであがき苦しみながら、多くの人の手を借りて問題を解決していくタイプがより理想的な主人公であると語った。

僕もどちらかと言えば後者に近い考え方をしている。前回書いたリーダーシップに関する記事においても、端的に言えば「リーダーシップとは心理的コストを肩代わりすること」と結論付けた。

ただ、これは「主人公」によりヒーロー的資質を求めるか、リーダー的資質を求めるかの差であるような気もする。この2つは相反するものではない。どちらの成分が多いほうがより価値観に沿うかどうかという問題である。gong023氏も、個々が高スペックでありながらモブを大切にしたりモブに徹することもできるのがさらに理想的であると語っていたので、ヒーローとリーダーの両方の資質を持っているほうが良いと考えているように見受けられる。

僕自身は、gong023氏に共感できるしリーダーとしての資質を持った主人公のほうがより好みだ。もしかすると、gong023氏よりもさらに好みが極端かもしれない。リーダー的資質を際立たせるため、思いっきり低スペックでヒーロー的資質が皆無なパターンなんていうのはかなりぐっと来る。

僕は誰もが自らの人生の主人公であると考えている。誰もが自分の人生を生きているのだから、主人公以外にはなり得ないのだ。

それなのに、多くの人は自分が主人公だと信じきれず、まるでモブであるかのように生きてしまう。人間は社会性を持つ動物なので、そういう習性があるのも仕方ないのかもしれない。しかしだ、何かを成し遂げたいと思ったらそれじゃ駄目なんだ。モブになりたがる習性を振り切り、自分が思う主人公らしい振る舞いをしないといけない。常に「主人公ならそうするか?」と問いただし、自らを主人公らしく変えていかないといけない。

そうやって自己改変を繰り返していくのが、僕の考える主人公なのだ。

リーダーシップとは心理的コストを肩代わりすること

リーダーシップってなんやねん

「リーダーシップ」という言葉を聞いたことがあるはずだ。そして言葉の意味だってなんとなく知っているだろう。

しかし「詳しい意味を正確に教えて」と言われたら困ってしまう。そこまで考えてみると、いかにぼんやりとした概念であるかがわかる。

リーダーシップはありまぁす!

じゃあリーダーシップなど存在しないのだろうか。そんなはずはない。今まで生きてきてリーダーシップらしきものを感じた瞬間は何度もあった。

小規模な集団でリーダーを決める際に、大多数が「まぁこの人だよね」と思い、すんなり決まったことだって何度もあっただろう。その人がリーダーシップを持っていると、確かに感じていたのだ。

取っ手付けちゃうぞ

リーダーシップなるものが存在するならば、そりゃあ是非とも使いこなして自在に発揮してみたい。まるで傘を差すかのように、「お、この状況なら出しちゃうか、リーダーシップ」という気軽さで発揮したい。

しかしリーダーシップという概念はあまりに漠然としており、そんな気軽さとは相性が悪すぎる。気軽さを実現するには、イメージする行動の具体性が高くないといけない。そこで必要になってくるのが、前も記事にした「取っ手を付ける作業」だ。

web-ken.hatenablog.com

漠然とした概念に取っ手を付け、自分の手で扱える道具に変えるのだ。

いでよ脳内教室

リーダーシップという概念の抽象度を計るために、脳内教室を用意しよう。そこに脳内中学生か脳内高校生を30人くらい放り込む。その教室で生徒へ指示を与える脳内教師のセリフに、抽象度を確かめたい物事をはめ込む。

「はい、リーダーシップ発揮して!」

さて、生徒たちは迷いなく動けるだろうか。流石に無理だろう。教室には聡明な生徒も何人かいるだろうが、これでは彼らですら動けない。

理想は聡明でない生徒ですら迷いなく行動できるくらい、「リーダーシップを発揮して」を具体的にできることだ。ただし、これはかなり難しいだろう。とりあえずは、聡明な生徒が動くことができそうなくらいのレベルで考えたい。

リーダーシップの生え際

リーダーシップという謎の存在は、いったいどんな瞬間に感じられるのだろうか。それを自分の経験を振り返り、探ってみた。

いろいろ探ってみた結果、リーダーシップは自分が感じた心理的コストを他者が肩代わりしてくれた瞬間に少しだけ感じられるという結論に至った。そしてその少しだけのリーダーシップ——便宜上「マイクロリーダーシップ」と呼ぼう——が蓄積されほど、リーダーシップが発揮されていると感じる。だからリーダーシップを発揮するには、誰かが感じているであろう心理的コストを何回か肩代わりしてあげればいい。

心理的コストってなんやねん

便宜上「心理的コスト」なんていう言葉をなんとなく使っているだけで、特に専門的な用語として使っているわけではない。心理的なハードルだとか負担だとか、そういう感じに捉えてくれればOKだ。

ただし、心理的コストなら何でもいいというわけではない。個人および集団が必要性を感じた行動に対する心理的コストだ。必要性が感じられていないと意味がない。「場が要求する心理的コスト」として考えるといいかもしれない。

他のコストじゃ駄目

場が要求する心理的コストを肩代わりすることでマイクロリーダーシップを生み出せるのだが、場の人間が心理的コストを肩代わりしてもらったと感じないといけない。金銭や時間、労力などのコストを肩代わりしてもらったと感じられてしまったら、むしろ逆効果だ。

だからマイクロリーダーシップを生み出す取る行動というのは、心理的コスト以外のコストが問題にならない、もしくは認識されていないものでないといけない。その行動のコスト=心理的コストと感じられるようなものが良い。決して雑用係になってはならない。

脳内教室再び

リーダーシップにとりあえずの取っ手が付いたので、脳内教室で脳内教師に言わせてみる。

「はい、場が要求する心理的コストを肩代わりして!」

このままではちょっと持ちにくい取っ手だ。癖の強い取っ手というべきか上級者向けの取っ手というべきかわからないが、かなり聡明な生徒じゃないとその指示で具体的な行動に移すのは難しいのは確かだ。

ただ、「はい、リーダーシップを発揮して!」よりはましだ。場に何らかの問題が生じており、その解決のために心理的コストを支払う必要性が明確なら、そこそこ取るべき行動が見えてくる。

指示を理解した聡明な生徒なら教室に生じた問題を察し、きっとこんなことを言うだろう。

「もう少し具体的にお願いします」

シチュエーションごとのマイクロリーダーシップ

理想はもっと持ちやすい取っ手を見つけることだが、なかなか難しい。だからシチュエーションごとの取っ手の使い方を予め考えておく。あくまでシチュエーションごとになってしまうが、そうすることでリーダーシップを簡単に発揮する方法がわかるはずだ。

ランチ

何人かでランチを食べに行くことが決まった。近所の飲食店は洋食と中華の2件。どちらでも全く問題はないが、どちらに行くかはまだ決まっていない。

このとき、どちらかの店に行こうと提案する行為に必要性が生じている。それは大した労力ではないはずなのに、その実行には心理的コストが生じてしまっていることが多い。

そこで場が要求する心理的コストを肩代わりして、理由とともに「◯◯に行こう」と提案してみる。そのまま決まるかは問題ではない。理由を述べたことで、連鎖的に他の人も何か違う理由を述べたり、より決定的な要素を発見するかもしれない。しかしそれらの行為にマイクロリーダーシップは生じない。心理的コストを肩代わりした瞬間においてのみ、マイクロリーダーシップが生じるのだ。

おそらく提案がどういう形でも、マイクロリーダーシップが生じると思われる。「◯◯に行きたい」と希望を言うだけでもいいだろう。場が求めているのは方向性を示すことだからだ。

逆にマイクロリーダーシップの発生から最も遠いのが、発言せず決まるまで待つことだ。これは心理的コストの全面的おっ被せ行為である。

よくやっていることだが、「ランチなに食べる?」などという質問を投げかけるのも場合によってはマイクロリーダーシップから遠そうだ。対話を促す行為ではあるので、普通の場面なら問題ないだろうし、むしろマイクロリーダーシップを生み出せる場合もあるだろう。しかし対話を促す行為がさほど求められていない場合、たとえば既に対話が始まっているところに後から自分が参加した場合になどには、既にいた人達に心理的コストをおっ被せる行為である。対話を促して決断を円滑に進めて集団の利益を得ようとしているのに、人に「マイクロリーダーシップがない」と感じさせて個人の不利益になりかねない。こういうことは集団の決断を急ぐためにためについやりがちだ。場合によっては集団の利益を思って無駄に自己犠牲を払ってしまう「カミカゼ行為」だと思っていいかもしれない。

聴衆の一員

講義でも何らかの発表でもいい、とにかく多数の聴衆がいる環境で、聴衆が質問する機会があったとする。説明不足な点、もしくは間違いが明らかに存在し、多くの聴衆が疑問を抱いている。

このとき、聴衆の誰かが質問する必要性が場に生じており、その実行には聴衆の人数に比例した大きさの心理的コストも生じている。ここで一番最初に質問すると、マイクロリーダーシップを生じさせることができるだろう。

聴衆の一員である際にはこのパターンが一番マイクロリーダーシップを発揮する機会としては多そうだが、次に多そうなのは、空調の調節かもしれない。場の人間が暑いor寒いと感じているのを察した時に、空調の調整を頼むとマイクロリーダーシップを生じさせることができるだろう。

自己紹介

初対面の際にリーダーシップをバリバリ発揮しなきゃいけないとは思わないが、まるでリーダーシップのない行動はよくないだろう。

気楽に接することができるように、ある程度のリーダーシップなら楽に発揮できるようになっておきたい。

まず目が合った際に、場に挨拶をする必要性が生じる。先に挨拶をするのと後に挨拶をするのでは、同じ労力でも心理的コストが大きく違う。だから先に挨拶をすることで相手の感じた心理的コストを肩代わりしたことになり、マイクロリーダーシップを生じさせることができるだろう。

問題は次に何を言うかである。先にしっかり自己紹介するのが礼儀としては正しいように思える。しかしこの場、つまり相手の心理的コストを肩代わりすることにフォーカスすると、そうするべきではないように思える。

相手が誰かを知る必要性と、自分が誰かを伝える必要性の二つを比べてみると、おそらく後者のほうが重要である場合が多い。したがって自己紹介は極めて簡潔にしつつ、相手のことをしっかりと聞くことでよりマイクロリーダーシップを生じさせることができるはずだ。相手のことを知っているならば、自分が相手をどれくらい知っているかを提示することも重要だ。

さらに連絡先の交換も必要とされる場面も多いだろう。ビジネスの場であればタイミングが明確であるが、もっとカジュアルな場では曖昧だ。「連絡先を交換する流れ」は、誰かが作らないと生まれないことが多い。そこで先んじて連絡先交換を提案するとマイクロリーダーシップをより生じさせられるだろう。場の人数が多いほどタイミングが曖昧になりがちなので、より大きなマイクロリーダーシップになるかもしれない。

シチュエーション多すぎ

「場が要求する心理的コストを肩代わりする」という取っ手を使いこなしてリーダーシップを簡単に発揮するため、多種多様なシチュエーションを想定してみよう思ったが、いちいち考えていられない。

僕はその場その場で考えてみることにしたので、みなさんも頑張ってください。リーダーシップを発揮する簡単な方法……それはみなさんの心の中にあるのです!

良きリーダーとは

リーダーシップとリーダーは少し違う。リーダーシップは一種の性質であるが、リーダーは役割だ。

今回考えたリーダーシップの延長で考えると、リーダーとは決断の心理的コストを肩代わりする役割である。決断という行為においてリーダーシップを発揮することを担う役割とも言える。

決断というのは支払う身体的コスト自体はゼロに等しいが、支払わなければいけない心理的コストが最も大きい行為の一つだ。そして分業、つまり役割分担というのは、個々が行う作業の種類を少なくして全体の生産性を上げることである。だから何らかの作業で身体的コストを支払う役割と、決断で心理的コストを支払う役割に分かれるのはごく自然なことである。

そういう風に分化したものと捉えると、良きリーダーというのは、作業をする人間に心理的コストの大きい決断をなるべくさせない人間であるはずだ。もちろん個々が日々こなしていく決断を大きく制限するものではない。個々が「こうするのが正しい」とすんなり決断できるならば、そこに心理的コストはあまり生じていないからだ。世の中には「こうするのが正しい」なんていう明確なものがない中でも選択しなければならないことが多く、そういった場面ほど決断の心理的コストが大きい。「こうするのが正しい」とわかっていても決断に大きな心理的コストが必要になってしまうことだってある。それらの大きな心理的コストを優先的に肩代わりしてこそ良きリーダーだ。

良きリーダーの反対であれば、当然ながら悪しきリーダーだ。個々につらい決断を強いて問題を生じさせ、自分の労力を費やして問題を解決してしまう。戯画化してみると、いつも忙しそうにしていて部下に「自分で考えろ」と言う上司。なんだか日本企業にたくさんいそうである。たとえ本人の生産性が高くても、部下の生産性を皆無にして組織としての生産性を上げていないので、リーダーとしての能力は低いと言わざるを得ない。ただ役職がリーダーなだけで、リーダーとしての役割を担えていない。

たとえ本人の生産性が低くても、「こうやってみよう」という明確な方針を与え、あとは問題が生じても本人やその周辺に任せっきりの上司のほうが、部下の数だけ組織の生産性を引き上げているので良きリーダーと言える。

僕も一応Diver Down社のリーダーではあるので、リーダーとしての役割をよく考え、ついでにリーダーシップもひょいひょい発揮していきたい。

Diver Downの近況(2016年11月)

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普段はろくに当社Diver Downの情報を発信していないが、今回は珍しくDiver Downの近況報告でもしてみようと思う。

11月現在で進めていること

新しいサービスの開発

現在、キノコっぽい感じのチャットっぽいサービスの開発を進めている。

チャットのようなコミュニケーションサービスは世の中に腐るほどある。ニーズがあるし、考えるのも難しくないので当然だ。いわゆるレッドオーシャンだと思う人も多いかもしれない。

しかし競合が多いとはいえ、可能性の拡がりがとてつもなく大きいため、まだまだネタが狩りつくされているとは思えない。捉えようによってはブルーオーシャンである。サメがいっぱいいるけど豊かな海、みたいな。

だからチャットっぽいサービスで、既存のものとはちょっと違うものを作ってみようと思った。既に普及しているものを再発明する試みだ。

ちなみにけんすう氏もチャットの再発明を試みているようだ。

note.mu

現在開発中のチャットっぽいサービスは、β版として11月末までにひっそりとリリースするのを目標としている。粗い出来のまま急いで出して必要性に応じて改善していく予定なので、あくまでひっそりとしたリリースであり、まずは少人数に使ってもらって様子を見たい。

ただ、本当に11月末までにリリースできるかは不明。

新しいサービスの企画

上記のチャットっぽいサービスの他に、誰かに感想をもらうための新規サービスも開発予定だ。

Webというのは誰もが参加できるが、そのために多くの人が埋もれてしまい、存在感を失う。自分の制作物への感想をもらうにも、知名度がないかぎり、まず何らかのコネクションが必要になる。

でもそんなコネクションなんかなくたって感想をもらえるような世の中にしたいと思った。だからジャンルは特に限定せず、とにかく自分の制作物へのフィードバックをもらおうと行動すれば、いくらでももらえるWebサービスを考えた。

既に仕様はまとめてあり、開発待ちの段階にある。

アプリ☆メーカーの改善の企画

現在アプリ☆メーカー上の表示をちょっとだけ変えてみて、どういう効果が現れるかを観察している。

そして12月に行うアプリ☆メーカーの改善で何をやるか検討している。

12月にやること

アプリ☆メーカーの改善

まずは11月に考えたアプリ☆メーカーの小さな仕様変更を進めていく。より少ない労力でより良い結果をもたらすような仕様をいくつか実装したいと思っている。

ただ、仕様変更に割く時間はそこまで多く取らない予定だ。大半の時間を不具合解消などの内部の改善に使い、パフォーマンスの向上を目指す。

年末年始は在宅率が高くてネット人口が多いせいだと思われるが、アプリ☆メーカーの利用者が増える傾向にある。その時により良いパフォーマンスを実現することで、より良い結果を出したい。

チャットっぽいサービスの改善の企画

チャットっぽいサービスは11月末までにひっそりリリースできたとしても、まだ基本機能だけのβ版である。リリースしてからどういう使われ方をして、どういう必要性が生じているのを見定め、改善方法を模索していく。

ちょっとしたサービスの企画

感想をもらえるサービスの前に、短い期間で作れるサービスをリリースしたいと思っている。

どういうサービスにするかはまったくの未定だが、長くて1ヶ月程度で作れるサービスにする予定だ。

2017年にやること

なんかいろいろやっていきたい。

やっていき.fmを聴いていく

最近始まった"やっていき.fm" (正式名は"yatteiki.fm"? "やっていきエフエム"?)というPodcastを聴いてみた。

yatteiki.fm

r7kamura.hatenablog.com

主に"やっていき"について話しているPodcastだ。

"やっていき"とは具体的に何かというとちょっとよくわからなくて「"やっていき"ってなんだよw」という感じだが、「個人開発をやっていってそれ一本で食っていけるようになったら素敵なのでまぁやっていこうよ」みたいなニュアンスだと思う。正確ではないかもしれないが、こんな温度感で合っているのではなかろうか。

Podcastを聴いてみて、「そう、この温度感だよなぁ」と思った。僕はエンジニアではなく、プランナー/ディレクター的な役割だが、似たような温度感でなんかいろいろやっていっている。一応法人化しているけども、それは法的な区分が変わっただけであって、人数もやってることも個人開発の時から全く変わっていない。同じような温度感でやっている"やっていき手"と自称してもいいはずだ。

「勉強会に行ってビジネスを学んで起業してベンチャーキャピタルから資金調達してバリバリ働いて渋谷かどっかでキラキラ生きる!」みたいなのは違うのだ。小手先のビジネススキルなどどうでもいいのだ。制作物ありきで、作りたいものを作りたいのだ。キラキラなどという、外に発するなんやかんやはどうでもいいのだ。自分の人生を噛みしめるように楽しんで生きていきたいのだ。ついでにお金いっぱいあったら嬉しい。

しかしだ、そういう温度感での活動というのは制作物が大ヒットしない限り目立つものではない。ウザいくらいに外部と関わっていくようなものでもない。だからそういう温度感の人間というのは、技術的なものを拠り所にしない場合にはネット上で自然に集まって行くのが難しいように思える。集まるべき「ここだ!」という場所があればいいのだけど、今のところそういう場所を知らない。

自分でもそういう温度感で活動している人を集めたいなぁとずっと思っている。そしてある程度集まったらそういう人達のためのサービスも作りたいなぁと考えてはいる。しかし、あまり集められていないので特に進んではいない。

そういう状況であるから、ともかく動き出しているやっていき.fmみたいなものはとても好きだ。うまいこと個人開発者達の中心地になっていってもらいたい。いや、地下室と表現したほうが適切かもしれない。やっていき手の地下室だ。

というわけで、僕はやっていき.fmの聴いていき手としてやっていきたい。

10秒で出来る速読法を教えるぜ!

活字中毒

僕は小さい頃、よく本を読んだ。

子供なのでゲームの類も好きではあったが、1人でやるゲームにのめり込むことは出来なかった。1人の時間の大半は、本とともに過ごした。

するとごく自然に、いつも何かしらの活字を目にしていないと落ち着かいない性分になっていった。

速読の発見

中学生くらいだっただろうか、本を読んでいる時、自分が大きく分けて2種類の読み方をしていることに気付いた。

1つ目は普通の読み方だが、2つ目は読むスピートがとても速い。いわゆる速読の一種だった。

速読の種類

速読の一種と言っても、そもそも速読という言葉自体が曖昧だ。とりあえず大まかに分けるとしたら、この3つであると思う。

  1. 本のページを何度かパラパラめくって内容を把握したり、ページをパッと見ただけで文章全体を理解するやつ
  2. 国語のテストのように急いで読むやつ
  3. 内容の理解度を保ちつつ、通常よりも大幅に速いスピードで読むやつ

速読と聞けば1のやつを想像する人もいるかもしれない。しかしこれはもはや曲芸であり、特殊な訓練が必要である。僕も出来やしない。

2のやつはただ頑張ってるだけである。だから2のやり方の速読をしたい人には、もっと頑張れとだけ言っておく。

僕がこれから説明するのは3である。

通常の読み方をしている時

自分が速読のようなものを使っていることに気づいたとはいえ、無意識でやっていたことなので、僕は意識的に使えなかった。だから通常の読み方と速読の違いを考えることにした。

通常の読み方も人それぞれであるだろうが、僕は黙読でも通常は目で文章を追うのと同時に、頭の中で音読している。したがって、その音読はかなり適当なものであるものの、文章を追うスピードの上限 = 音読のスピードの上限となっている。

速読している時

速読をしている時の自分の頭の中も観察しようと試みた。意識的に速読が出来たわけじゃないので簡単ではなかったが、繰り返すうちになんとなく把握出来た。

速読をしている時、頭の中で全く音読をしていなかった。目で見た文字列を、いちいち音読せずに理解していた。

それにより、文章を追うスピードの上限 = 理解のスピードの上限となっていた。音読のスピードの上限よりも理解のスピードの上限のほうが高かったので、より速く読むことが可能になっていたのだ。

頭の中の言葉を消せるか

頭の中で全く音読しなければ速読出来る。簡単な答えである。

しかしその答えを実現するのは楽じゃない。なぜなら頭の中から言葉を消すというのが難しいからだ。その作業だけに注目すれば、瞑想に近い。おまけに文字を目にしているのに、その文字が持つ音が思い浮かばなようにしないといけないのだ。

通常の読み方と速読の違いがわかったところで、すぐ実践出来るわけではなかった。

別の角度から攻める

速読を意識的に使うことを僕は諦めたくなかった。しかし、速読しようとする際、即座に瞑想状態を実現して文章を読み始めるなんていうのも現実的ではなかった。

そこで思いついた。意味を持たない別の言葉で埋めてしまえばいいのだ。人間は2つ同時に音読は出来ない。文章と関連のない音読をしていれば、文章を音読するスピードに縛られずに読めるのだ。

魔法の言葉探し

別の角度から攻めると、今度は別の問題が生じた。意味を持たない言葉を延々と唱え続けるというのが難しいのだ。

その行為だけなら出来なくもない。だが、頭を使ってひねり出してしまってはいけないのだ。無駄に頭を使ってしまうと、文章の理解力が落ちてしまい、速読しているのに遅いという本末転倒な状態になってしまう。

だから頭を使わずに延々と音読し続けられる言葉でないといけないのだが、頭の中で「あああああ……」と唱えたりしても駄目だった。単純すぎるため、目で追っている文章の音が、次第に「あああああ……」の背後にうっすらと浮かび上がってくるのだ。浮かび上がってしまったらもう駄目だ。もう速読状態ではない。

僕は速読に適した魔法の言葉をさらに探すことにした。

10秒で出来た

いろいろ模索してたどり着いた魔法の言葉は、「10秒」だった。1から10を数える。それだけだ。

文章を読んでいる間は延々と音読しないといけないので、10まで数え終わったらまた1に戻る。

そしてポイントなのは「10秒」ということだ。つまり、1,2,3...と1秒ずつカウントアップしていく。馴染みのあるリズムに依存した生成方法であるため、頭をほとんど使わずに済む。使っているとしても、文章の理解とは全く違う部分を使っているので、文章の理解をさほど邪魔しないのである。それでいて単純すぎないので、背後から文章の音が浮かび上がりにくい。

頭の中で「10秒」を数え続けることで、僕は意識的に自分を強制的に速読モードに変えることが出来るようになった。そのまま集中でき、数えるのをやめても速読が続く場合もあるし、そうでない場合は延々と数え続ける。

10秒速読法まとめ

速読をしたいけど意識的に速読することが出来ないという人は、一度この速読法を試してみてほしい。僕と同じように「10秒」を使って速読が出来るようになる人もいるかもしれないのでまとめておく。

  • 頭の中で10秒を繰り返し数える
  • 読みたい文章を目で追う

まとめると言ってもやりかたはこんなもんである。

コツとしてはこんな感じ。

  • 頭の中だけど、なるべく大きな声でハキハキと10秒を数える
  • 単語の音を連想しないように我慢する
  • 余計なことを考えず先へ先へと進む

感覚が掴めない場合は、無理にスピードを上げようとしないで、まずは1秒ごとに1行をリズムよく追っていくようにするといいかもしれない。

まぁ感覚的なことであるので、このあたりは人それぞれかもしれない。しっくりこなかったら各自で試行錯誤してもらいたい。

速読は万能じゃない

この速読法は文章の内容を理解することは出来るが、情緒や語感、リズムといった情報が全然受け取れなくなる。だから小説で使えばストーリーを追うだけになってしまって面白くなくなる。

また、普通に読んでも簡単に理解できないような文章は、当然ながら速読でも理解できない。

悪文に関しても同様だ。普通に読んで躓いてしまうような文章だと、速読でも躓いてしまうか、誤読する。

そう、すべては筋肉

速読において、そもそも重要な点がある。それは目の筋力である。

速く読むということは、速く目を動かすということだ。だから目の筋肉が速読に対応していないと、そもそも速読などできない。

まずはタンパク質をしっかりと摂取し、速読に耐えうる筋肉を備えた人間になろう。

取っ手を付ける作業

前回「取っ手を付ける作業」という記事を書いた。今回の記事を書いている時は考えていなかったけれど、今回は速読に取っ手を付けた記事と言えるかもしれない。

隙あらば取っ手を付ける人間でありたい。

きっかけ

この速読法は昔から自分でやってたやり方で、大人になってから見つけたものではない。だから新鮮味が全くなくて、ブログネタの候補にすらなることはなかった。

しかし「内なる声」の話題をTwitter等で目にし、このテーマに関する他人の感じ方を知るのが面白かった。

そうして自分自身に目を向けてみると、自分がどう感じているのかをはっきりさせたくなった。自分の速読法についてちゃんと文章にまとめてみようかなと思った。

そう、すべては筋肉

こんな風に他人のきっかけによって自分自身のことがより明確になり、そして引き出されていくということがある。それは自分自身を形作る上で貴重な経験なので、そういうチャンスを目ざとく見つけていきたい。

しかしそれには充分な余裕が必要である。余裕とは体力である。体力は健全な肉体によって生み出されるものであり、やはり必要なのは筋肉。

タンパク質を摂ろう。

取っ手を付ける作業

僕はある武器を持っている。それはちょっとした工夫の一つで、「何かをすべきだ」と感じた時にはいつも頼りにしている。

いい加減な先生

たとえば学校で新入生に先生が「はい、隣の人とペアになって自己紹介して」と言ったとする。そしたらそこそこ普通に自己紹介が始まり、多少は親睦が深まるだろう。

だが先生が「はい、親睦を深めて」とだけ言ったとしたらどうだろうか。多くの生徒が自然にコミュニケーションを取って親睦を深めていくとは思えない。

もしくは「ほら、コミュニケーション能力を発揮しなよ」といういい加減な指示だけ与えたらどうだろうか。多くの生徒はどうすべきかわからないはずだ。迷いなく行動できる生徒なんてかなり少数だろう。

これは極端な例だが、これに近いことは世の中に溢れている。「リーダーシップを発揮すべきだ」なんて言葉を耳にする機会は幾度となくあるが、それは「ほら、コミュニケーションを能力を発揮しなよ」としか言わないいい加減な先生と同じようなレベルである。社会生活において重要な役割を担うならば、「リーダーシップを発揮すべきだ」なんてことはわかりきっている。そんなもの出来たらやっている。

何らかのコンテンツを作る人間ならば、「面白くしなきゃ」なんて考えも常に頭にあるだろう。しかし、それだけではいい加減な先生と同じレベルだ。

具体性の欠如

「ほら、コミュニケーションを能力を発揮しなよ」

「リーダーシップを発揮すべきだ」

「面白くしなきゃ」

これらに足りないのは、具体性である。もっと言えば、具体的な行動をイメージ出来ないことが問題だ。人は自分が行動する具体像を抱けないと、しっかりと行動に移せないのだ。

だからいい加減な先生は生徒に対し「ほら、コミュニケーションを能力を発揮しなよ」と思ったとしても、まずはそれをもっと具体的にしていく必要がある。「はい、隣の人とペアになって自己紹介して」くらいになれば具体的な行動をイメージできるので問題ないだろう。

取っ手を付ける作業

このように、抽象的な概念を実現するため、より具体的なものに落とし込んでいく作業を僕は「取っ手を付ける作業」と呼んでいる。「親睦を深める」とか「コミュニケーション能力を発揮する」なんていうのは、そのままだとツルツル滑って手に持つことが出来ない。手に持てないということは使いこなせないということだ。だから具体性という取っ手を付け、その概念を使えるようにするのだ。

「取っ手が付く」状態を具体的にイメージしやすい例を挙げよう。「立食パーティーでいろんな人と知り合う」ということを実現したいと思ったとする。とりあえず脳内教室で先生にそれを言わせてみよう。そうすることで、どれくらいの具体性を持っているかがすぐにわかる。

「はい、立食パーティーいろんな人と知り合って」

無茶言うなよ。なんだよその指示。これは明らかにいい加減な先生である。

このままじゃ使えない。あまりにも取っ手がなさすぎてツルッツルだし、これはなかなか重いのでしっかりとした取っ手が必要そうである。そういう場合は「はい、◯◯して」フォーマットに当てはめても自然なくらい具体的な行動を考える必要がある。

で、まぁいろいろと考えていくわけだが、ここでは割愛してよく知られた取っ手を付けることにする。それを先生に言わせてみる。

「はい、二人組を見つけて話しかけて」

無茶だろうか? 意味不明だろうか? これはやろうと思えばすぐ実行できることだし、指示として自然である。まともな先生になった。

これが取っ手が付いたということである。「立食パーティーでいろんな人と知り合う」という、どうしたらいいかわからない物事に「二人組を見つけて話しかける」というつかみやすい取っ手が付いたのだ。この取っ手を知っていれば、今後「立食パーティーでいろんな人と知り合う」を行使出来るようになる。

なんで二人組を見つけて話しかければ「立食パーティーでいろんな人と知り合う」が実現出来るかというと……(割愛)

知りたければ各自で検索してほしい。

普通の人間の特別な武器

こういった「具体性を持たせる」だなんてそんな当たり前の思考過程にわざわざ名前付けるのは大袈裟だと思う人もいるかもしれない。確かに当たり前にやるべきことだし、大袈裟だ。だがごく普通の人間においては、ここまで大袈裟にやらないとこんな当たり前のことすら出来ない。

「リーダーシップを発揮する」には何をすればいいのか?

「面白くする」って何をすればいいのか?

もしこれらの問いに対し「◯◯する」といった具体的な行動を即座に答えられるような人がいるならば、それは特別な人間だ。考えれば誰しもその人なりの答えは一応出るはずだが、普通の人は答えられない。

なぜか。

それはちゃんと考えたことが一度もないからだ。ただそれだけだ。答えが出るまで考えたことがあれば、合っているか間違っているかはともかく、答えることは出来る。でも「答えられない」が普通なのだ。僕もそうだったし、未だに多くの問題についてきちんと答えられない。

だけど僕は特別なことをやりたいんだ。だからごく当たり前のことに「取っ手を付ける作業」だなんて大袈裟な名前を付けて工夫する。

「具体性を持たせること」をもっとイメージしやすい表現にすること自体が「取っ手を付ける作業」であり、それによって以前より思考の質が上がった。何かをすべきだと思った時も、その考えに取っ手が付いているかどうかを意識することで、直感的に具体性が把握できる。「取っ手を付ける作業」という取っ手は僕にとっての特別な武器だ。

そう、すべては筋肉

このブログでは僕が考えてみたいろんな取っ手を紹介していけたらなぁと思っている。「リーダーシップ」の取っ手や、「面白さ」の取っ手など。その取っ手を使って自分以外の誰かが何を出来るのかなんていうのも気になる。

こういうアイディアは共有しない人もいるかもしれないが、僕はどんどんばら撒きたい。アウトプットするために練り直すことで、さらに質が高まるからだ。

おまけに思考する機会が増えることで、新たに何かを考えるときの力も強くなる。思考力は筋力と同じようなものである。一度持ち上げたバーベルを大事にしまっておいたところで、筋力は増えない。繰り返すことで次が生まれる。

特別なこと

まぁ実際のところ、この「取っ手を付ける作業」という取っ手があったところで劇的な効果があるわけではない。ごく普通の人より少しだけ早く、あるいは少しだけ具体的に、物事を考えられるようになる程度だ。強烈なパワーで思考して突き進んでいく特別な人間のようにはなれない。しかしその「少しだけ」を繰り返すことで、普通でない、何か特別なことが出来ると信じている。

法人化しました

これまで「ウェブサービス研究会」という、何と定義すればいいのかわからない集団として活動を進めてきましたが、このたび法人化し、「Diver Down LLC.」になりました。

法人化に際し、99designsというサイトでロゴを募集したところ、素晴らしいロゴを手に入れることが出来ました。

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素晴らしすぎてすぐにグッズも作りましたよ、ええ。

Diver Down公式ショップ

そして現在、デザインをロゴに合わせた公式サイトを制作中です。細かい部分はまだ制作中ですが、基本的な部分は出来上がっております。

Diver Down LLC.公式サイト

ウェブサービス研究会」が運営していたサービスも「Diver Down LLC.」に引き継がれます。

今後ともよろしくお願いします。

【Unity】本物の素人が独学で2ヶ月かけてクソゲーを作ってみた結果

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 これが結果だ!

 とりあえずPC向けブラウザゲームとしてGoogle Driveにアップしといた。

(現在はGoogle Driveのウェブ公開機能が廃止されたので、Unityroomに投稿)

 

 

 スーパーカラバッジョワールド | ゲーム投稿サイト unityroom - Unityのゲームをアップロードして公開しよう

 

 クソゲーではあるが、やれば何かしらできるものだなぁと感慨深い

 というわけで過程は↓

 

 我こそが本物である!

「ゲーム制作素人が1週間程度で云々〜」という記事をたまに見かける。

 しかしだ、彼らの多くはプログラミング等の何らかの土台があった上で挑戦している。素人といっても「素人(自称)」なので、習得速度についてはあまり信用できない。中には本当に素人と言える人もいるが、自力でちゃんとゲームとしての体をなすものを作るには、やはりそれなりに時間がかかっているようである。

 僕自身はということ、ウェブサービスを作って世に送り出している活動をしているものの、プログラマーではないし、プログラミングは出来ない。だからツールの使い方とプログラムが書いてあるページを読んだって、何も出来やしなかった。これまでの経験でゲーム制作に直接使えるものも、これといってなかった。

 それだけではない。ゲームに使うための音楽や効果音を作るスキルもないし、グラフィックを作るスキルもない。

 せいぜい、ちょっとネットが使える程度。

 要するにそこらへんのネット好きと大して変わらない、まぎれもない素人である。

 

本当にやりたいと思ったら既にやっているッ!

 ここしばらくは主にアプリ☆メーカーの改良をしているのだけど、仕様の面は結構前からほぼ出来上がっていた。

 するとプログラマーでない僕は特にすることがなくなった。

 なので次に作るサービスの仕様策定も進めたが、それも終わってしまった。

 そういうタイミングで、急にゲームを作りたくなった。

 今までもぼんやりとやりたいなぁと思っていたけど、それは所詮行動に移さない「やりたい」であった。やるつもりなんかなかった。その「やりたい」は、「自分には出来ない」という諦めの感情が生んだ虚像にすぎなかったのだ。

 しかし近年のゲーム制作ツールに関する素晴らしい記事を何度も目にしていたら、気づいたのである。「自分には出来ない」なんていう事実は存在しないのかもしれない、と。

 そうしてゲーム制作について調べたら、改めてゲームを作ろうという気持ちが生じてきた。それは「宝くじが当たったらなぁ」という夢想の類なんかではなく、メモを取ろうとして目の前のペンを取ろうとするような、ごくあたりまえのことを実現する気持ちだった。
 

で、どうやって作ればいいんだよ!

 近年の優秀なツールでゲーム制作をするといっても、ゲーム制作ツールはいろいろある。その中でも、主に検討したのはこの4つである。

 

 

 僕はUnityを選んだ。理由は以下だ。

 

  • 普段使っているMacでがっつり使える
  • もともと3D向けだけど2Dもがっつり作れる
  • アセットストアという、ゲームに使う素材を無料or有料で手に入れられるすごいものがある
  • 使用者が多いのでググれば日本語で書かれた情報が豊富に出てくる(これ大事)
  • プログラミング部分で、素敵な言語と噂されるC#を使える(プログラミング出来ないのでピンと来ないが、高度なものを作る時に重要になりそう)
  • よくわかんないけど、なんかいろいろすごい(モチベーション維持のためにロマンは大事)

 

 とりあえずスマホ向け2Dゲームが作りたいので2D特化のGameMakerも考えたけど、

 

  • 主にWindows用(Mac用もあるにはあるけど微妙?)
  • 日本語の情報が少ない
  • ちゃんとしたものを作ろうとするとGameMakerの独自言語でプログラミングすることになるが、その言語の評判がすこぶる悪い(これもピンと来ないが、ボロクソ言われているものを学ぶのはやだなぁと思った)

 

 本格的なものを作るにはUnreal Engineがいいらしいが、ガチなグラフィックの3Dゲーム向けっぽいのでパス。本格的すぎる。日常に寄り添うような2Dスマホゲームがいい。

 スマホゲームは結構な割合でUnityとCocos2d-xが使われているらしいのでCocos2d-xも検討したが、基本的にバリバリとコードを書いていくためものであり、プログラミング未経験者お断りのツールだった。さすがにキツイ。

 というわけでUnity、君に決めた!

 

Unityすごい……でも何も出来ねぇ!

  Unityにはプロ版と無料版があるのだが、ゲーム制作に必要な機能においては無料版もプロ版もほぼ変わらない。しかも無料版には制限があるものの、普通の個人にとっては全く気にしなくていいくらい緩い制限だ。だから無料でガッツリ使えるツールと考えていい。

 そうしてUnityを導入してみたが、困った。何をどうしたらいいのか全くわからないのである。

 検索をしてみても、完全な素人にとってはわからないことがありすぎてまったく理解出来ないページばかりだった。

 そこで通称「ひよこ本」と呼ばれている、評判の良いこの本を買ってみた。

   

Unity5入門 最新開発環境による簡単3D&2Dゲーム制作

Unity5入門 最新開発環境による簡単3D&2Dゲーム制作

 

 

 チュートリアルを丁寧な解説とともに進めていく内容で、とてもわかりやすかった。

 ゲームに使う素材はこの本が用意したものを使うので、それら組み立てていくような感じだ。

 そうして以下のものを作っていった。

 

 

 

 

 

 

 Unityというツールの大まかな考え方や使い方をサクサクと学べたのでよかった。

 

ツールは使えるが、ゲームを作れない!

 Unityの大まかな使い方は把握したので、Unity公式のチュートリアルをやってみることにした。

 

 

 簡単だった。ひよこ本で基本を理解した僕にとっては簡単すぎるくらい簡単だった。

 しかしだ、スクリプトを書くところに至ると、途端に難しくなった。大したことをやっていないはずなのに。

 

 

 とりあえず完成させることはできた。

 それによって課題も明確になった。

 ゲームの部品を組み立てることはできるが、それらを動かすためのスクリプトを書く力が不足しているのだ。

  だからUnityというツールの使い方がわかっていても、まだ実際に自力でゲームを作ることはできない。

 意外と道は険しかった…… 

 

スクリプトって何だよ! 

  そもそもプログラミング経験がないのである。「スクリプトが云々」と書いてあっても、「スクリプト」自体よくわかっていなかった。

 プログラミングにおいて何らかの処理を記述して実行されるまでにはいろんな過程があるが、そういった過程でなく処理に関わる部分のみを指して「スクリプト」と呼んでいる……のかな?

 Unityでは処理を実行するまでの過程はUnity内部で上手いことやってくれて、ゲームをどういう風に動かすかという部分でしかコードを書かないので、基本的に「プログラムを書く」というより「スクリプトを書く」と表現されている……のかな?

 まぁ実際のところ今もよくわかっていないが、だいたいこんな感じで考えている。

 そんなレベルなので、チュートリアルスクリプトの解説を読んでその時は理解していても、知識として身につかなかった。

 僕はスクリプトを簡単なものなら自分で書けるくらいになろうと思った。

 Unityで使う言語はC#が基本らしいので、C#を軽く学ぶことにした。そうして適当に検索してC#をちょろっと把握してみようと思ったが、なんとびっくり、何がなんだか全然把握できない。ちょっとしたTipsを10も20も覚えればだんだん頭の中で体系化されてくるような気がしていたが、それより遥かにレベルが高かった。これは書籍かなんかで順を追って学んでいかないと駄目だ、と思った。

 そこで現時点の最新版であるUnity5に対応したC#解説本を探した。しかもとびきり初心者向けのやつだ。

 するとずばりニーズに合ってそうな内容の本はこれくらいしかなかったので、これを買ってやってみることにした。

  

見てわかるUnity5 C#超入門 (Game Developer Books)
 

 

  特別わかりやすいとは思わなかったが、超入門というだけあって初歩的なことを順を追って説明してくれているので良かった。

 書いてあることをなぞりつつも、ちょっとずつ勝手なことをやってみたりして成長していった。

 









 大したことは出来ないものの、ごく簡単なスクリプトしか書かなくていいならば調べながら実現できるようになっていった。

 

成長という快楽、あるいは逃避へのガソリン

 体系的な知識を詳細に学んでいくより、最初にざっと概要を学び、あとはチュートリアルをやりながら詳細を覚えていくほうが、成長スピードが早いように思える。おまけに成果物がどんどん出来上がっていくので成長を実感しやすく、モチベーションの維持もしやすい。あらゆる分野で有効な学習法だと思う。

 しかしずっとチュートリアルを続けていても、何も生み出せない。最低限のことが出来るようになってからは、目的を達成するための実戦経験の量をしっかりと確保しなくてはならない。

 実戦経験に時間を割くことで知識の習得が遅れてしまっても問題はない。実戦のための知識であり、知識のための実戦ではないからだ。

 とはいえ知識を身につけて成長することは人間にとって大きな快楽だ。だからついつい理由を付けて学び続けたくなるが、目的があって学んでいるならば、その目的を忘れてはならない。目的を達成するための行動にこそ意味があるのであって、学ぶこと自体には「学ぶ」以上の意味は無いのだ。

 なのに達成が困難な目的であるほど、未達成である現実と向き合わず、成長に執着しがちだ。そうなると成長することの素晴らしさなど関係ない。ただ逃げているのである。たとえ未熟な状態でも、実戦で勝てる強さを身につけるチャンスがあるならば、それを目ざとく見つけて着実に掴んでいかねばならない。

 僕は、目の前に無数のチャンスが見えてきたように感じた。それまでは何も見えず、とりあえず学ぶしかなかった。

 一方でまだまだ素人の域を脱したとは言えない状態なので、もっと「ちゃんと」理解して「ちゃんと」作れるようになってからオリジナルを作り始めたいという気持ちも強かった。

 揺れる。

 しかしその「ちゃんと」を待っていて結果を出せないまま悔しい思いをした経験が何度もあった。「ちゃんと」なんていうものは、いくら待っていてもやってこないのだ。「ちゃんと」を待たない勇気を振り絞らないといけない。

 僕は自分で考えたゲームを作り始めることにした。

 今の実力じゃクソゲーしか作れないのは明白だが、そのクソゲーで立ち向かい、実戦経験を積んでやるのだ。

 

ゲーム制作の壁は一つじゃない! 

  Unityでいろいろ動かせるようになったとしても、ゲームというのは成り立たない。何かしらのグラフィックが必要である。

「さぁ作るぞ!」みたいな流れになっているわけだから、グラフィックのほうはそこそこクリアできるのだろう。

 と思うじゃん?

 そっちも完全な素人なんだよね実は。

 というわけでまずは安いペンタブを買ってみた。

 

 

 Macで使えて無料でシンプルなペイントソフト、「FireAlpaca」もインストールしてみた。

 


 で、描いてみた。

 


 ペンタブ使いづらっ! 思うように描けない! アナログと同じように描けても何も描けないけども!

 イラストは一朝一夕で身につくものではないというのも実感した。しかし、そこそこのレベルでいいなら、知識を得ることでなんとかなりそうな気もした。まぁ、膨大な量の知識になるが。

 今すぐに使えるスキルにならなくてもいいので、とりあえず基礎からちまちま学んでいくことにした。

 イラストの基礎と言えばデッサン。だぶん。

 ということでまず自分の手を真剣にデッサンしてみた。

 


 今まで絵を書く習慣がなかったのだが、その割には描けた。しかし相当キツかったので、スキルが足りない。

 かといって地道な練習をするには時間を取られすぎるので、上達のための方法を教えてくれる本を読むことにした。

 これ。

 

絵はすぐに上手くならない

絵はすぐに上手くならない

 

 

 この本にはクロッキーをしてみて自己診断をしてみるように書いてあったので、クロッキーもしてみた。さっきのデッサンとは違い、クロッキーは速書きなので直す余裕なくてこれはこれで大変。

 


 デッサンの本も買ってみた。

 

基礎から身につくはじめてのデッサン―形のとり方から質感まで鉛筆デッサンの基本がわかる

基礎から身につくはじめてのデッサン―形のとり方から質感まで鉛筆デッサンの基本がわかる

 

 

 ためになった気がする。

 でもイラストのスキルはまだまだ使い物にならないので、今回のクソゲー制作では適当にごまかす方法を考えることにした。

 今になって思えば、デッサンよりイラストツールやベジェ曲線の使い方を学ぶほうが即戦力になった気もする。

 

まだでかい壁があるぞ!

 グラフィックは適当にごまかすとしても、まだ大きな壁が1つある。

 それは音だ。音がなくてもゲームとしては成り立つが、音がないと楽しさが半減である。BGM、SE、それらを用いた演出があることによってユーザーに楽しさを届けることができる。

 でもね、例のごとくこっちも素人なんだよね。

 というわけでまずはこのMIDIキーボードを買ってみた。

 どうやって使うのか知らないけど!

 

KORG USB MIDIキーボード microKEY-25 マイクロキー 25鍵

KORG USB MIDIキーボード microKEY-25 マイクロキー 25鍵

 

 

 作曲とSE作りはMacに元から入っているGarageBandでやってみることにした。ガレバン。そのうちガレバンの上位版であるLogic Pro Xに移行してみたいけど、まずはお手軽版で。

 ガレバンを使ってみてまず驚いたのは、PCのキーボードをMIDIキーボードのように使えるため、いきなりMIDIキーボードを買う必要なんてなかったことである。ガレバンに慣れてから充分だった。まぁ、あると楽ではあるが……

 次に驚いたのは、あらかじめ用意された膨大なフレーズを組み合わせるだけで曲を作れてしまうことだ。なんか適当にごまかすのが捗りそうなのだ。中にはYouTuberがよく使っていると思われる音源もあった。

 というわけで、まずは短い曲を作ってみた。ドラムは自分で打ち込んだが、それ以外は用意された音源を適当に組み合わせただけだ。

 


 うむ、素人が適当に作ったわりにそれっぽい。

 高クオリティなものを作れるようになるまではやはり時間がかかりそうだが、ガレバンというツールを知るだけで、音に関してはある程度いけると確信した。

 ガレバンはいいぞ。

 

いざオリジナル!

 試しに謎の空間で謎のオブジェクトを操作できる何かを作ってみた。

 

 

 なんとなく感覚も掴めてきた。わからないことだらけだが、できないことはやらず、とにかく完成させることを目指せばいけそうな気がした。

 コンテンツを作る上で一番大切なスキルは完成させるスキルなので、無茶してでも突き進むのが正しいと信じて強引に作り始めた。

 それでも完成させられるか危ういと思ったので、「クソゲーを作る」という目標を設定してみた。

 

グラフィックをどうするか

 いざ作るとなると、まずはグラフィックをどうごまかすかが問題になった。

 で、なんかもう面倒なので、練習の時に使っていた神絵師カラバッジョさんの絵画を今回も無断使用することにした。

 そうなるとカラバッジョの絵ばかりを使う正当性のようなものが、ゲームのコンセプトに必要となってくる。

 それも面倒なので、いっそのことゲーム空間が「カラバッジョワールド」ということにして、ゲームに一切関係がない絵画をさも当然であるかのように組み込んだ。そしたらいい感じに狂気をはらんでコンテンツとしての謎のオーラが出てきた。

 ペンタブを使ったのはクソゲー感を出すための題字と、次のステージへ誘導する矢印くらいだ。

 

音をどうするか

 BGMは新しく作ったりせず、練習で作ったやつをずっとループさせとくことにした。新しく作ることもできるが、それに着手すると完成が大きく遅れる。作りたい気持ちを抑え、「完成が第一、完成が第一」と呪われたように唱えながらSEをちゃちゃっと作った。

 SEは基本的にガレバンでそれっぽい単音を探し、それを1音鳴らして音声ファイルに書き出してそのまま採用している。

 

意外となんとかなる

 そんなこんなで作り始めて3週間くらいで、「スーパーカラバッジョワールド」は完成した。Unityを学び始めてからは、2ヶ月くらい経った。

 プログラミング経験がなかったので、C#でUnityのスクリプトを書くことはとても大変だった。しかし、躓くところはだいたい初心者にありがちなところだったし、多くの人が躓いているところだった。だから基本的には調べれば解決した。

 躓いて調べてというのをひらすら繰り返すのはめちゃくちゃ疲れるし苦労したが、所詮は答えのある問題だ。体力と時間があればなんとかなる。クオリティだとか上手くいくかどうかは置いといて、とりあえずなんとかなる。

 問題はゲームデザイン、つまりどういうゲームを作るかであり、そこで適切な判断をする難易度がとんでもなく高い。ゲームを作りながら「ここはこうしたほうがいいかなぁ」「ここはもっと良くしたいのにどうすればいいんだろうなぁ」と悩むことは何度もあり、それでいて答えなどない。スクリプトを書く作業にあてるつもりだった時間もあっという間に吹き飛んだ。

 ゲームデザインに関してはもっと経験を積む必要があると感じた。

 

完成が第一

 クソゲーでもなんでもいいから、とにかく完成させることが大事だと改めて実感した。作業を進めているといろんなスキルが足りないよう思えてしまうが、実際のところ一番必要なのは完成させるスキルだ。

 あたりまえのことだが、完成させるスキルがあれば他のスキルが不足していたって完成まで持っていける。そのスキルを伸ばすには完成の経験を積むしかないわけで、作りながら「完成が第一、完成が第一」と唱えて自分の中の完璧主義者を鎮めないといけない。

 そういう意味では、「クソゲーを作る」といった目標設定はとても良かったかもしれない。自分の中の完璧主義者を極力抑え、完成に向かってまっすぐ走りやすい。

 まぁ、出来上がるのはクソゲーだけども……

 

 

次はシンプルゲーを作るよ!

 クソゲーを作り終え、今度はスマホ向けのシンプルなゲームを作り始めている。

 あとゲームデザインの本も読み始めた。

 ずっとゲーム制作にかかりっきりにはならないが、これからもゲームは作っていくつもり。

 そういった活動のログは今後もnoteのアカウントに投稿していこうと思っている。

 


 新しいことへの挑戦はキリのいいところでどんどん発信して、達成感を細かく稼いでいくと成長が早い。気がする。頑張る。

 

 

意外と知られていない、はてブの神機能

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 はてブの機能を組み合わせるとこんなことが出来る。

 まぁまずは見てほしい。

 

 http://bukuma-diver.com/

 

 

 ブックマークをWeb上に記録したり、Webページにコメントを付けたり出来るサービスは世の中にたくさんある。日本においては、はてなブックマーク、いわゆる「はてブ」が最王手最大手である。

 そのため、ややIT系に偏っているものの、はてブのホットエントリーをチェックすればネットでの旬のページをだいたいチェックできる。
 さらにはてブの拡張機能を入れると、閲覧しているページのブックマーク数が表示されるため、そのページがどれくらいブックマークされているかで人気度を把握することが出来る。それだけでなく、拡張機能のボタンをクリックすれば閲覧中のページに寄せられたコメントを確認することも出来る。
 そしていつしか、「ブックマーク数が多いほど良いページ」となんとなく思うようになり、「良い」と思った物事でもコメントでボロクソ言われてるのを見て「良くない」と思い始めたりしちゃって頭がおかしくなってくる。
 これが一般的なはてブユーザーだと思って差し支えない。最高だぜ、はてブ

 

 そんなはてブだが、機能はこれだけじゃない。ユーザーがブックマークしたページの情報ははてブに記録されており、長年に渡って蓄積されたその膨大な情報を誰もが検索出来るようになっている。

 これがなかなか便利なのである。もちろん普通のGoogle検索も便利で、「それが何であるか」といった、何らかの疑問を抱いて使うぶんにはGoogleが一番である。しかし特定の物事に関する面白いページを探そうとすると、どうしても玉石混淆すぎてしまい、あまり満足出来ないことが多い。
 そういう場合にはてブ検索してブックマーク数が多いページをチェックすると、とても良いページとどんどん出会える。どうしてそうなるのかというと、「ブックマーク数が多いほど良いページ」だからである。当然である。何もおかしくない。

 

 このはてブ検索はキーワードでの検索だけでなく、ドメインでの検索も出来る。
 ドメインで検索すると、そのドメイン内でブックマークされたページを抽出することが出来る。要するに特定のサイトの人気ページを簡単にピックアップ出来るのだ。
 これは本当に素晴らしい機能である。ネットとの付き合い方が変わるくらい素晴らしい機能であり、神機能と言っても過言ではない。

 たとえば最近このような記事が人気を博した。

 こういったまとめ記事はとても役に立つしありがたい。

 だが、はてブでクックパッドのドメイン内検索をすれば同じような結果が出る。

 『cookpad』 の人気エントリー - はてなブックマーク

 まとめ記事を書いた人も、はてブドメイン内検索した結果をフィルタリングして一言添えてまとめるというやり方で執筆しているのだろう。

 面白いと思った様々なサイトでドメイン内検索をしてみると、良質なコンテンツを山ほど発掘できるのだ。


 そんな神機能であるが、日常的に使っている人はあまり多くないようである。その理由は明らかで、この機能を使う手順がやや面倒なのだ。
 まず「面白いページだ!このサイトには他にも面白いページがたくさんありそうだ!」と思ってこの機能を使おうとするわけだが、すると以下の手順が必要となる。

→そのサイトのURLのドメイン部分をコピー
はてブに移動
はてブの検索欄に貼り付け

 こんなのいちいちやってられない。クリックや打鍵の回数は5回をゆうに超える。素晴らしい素晴らしいと思いつつも、実際僕ですらたまにしか使っていなかった。

 

 しかし諦めたくはなかったので、自分のようなはてブユーザーのニーズに応えたサービスを作ることにした。
 それが「ブクマダイバー」というサイトと、その拡張機能だ。
 サービスの説明をする前に、とにかく拡張機能の素晴らしさを伝えたい。
 この拡張機能は上で述べた面倒くさい手順をすべてすっ飛ばし、たった1クリックで神機能を使えるようにしたものだ。
 閲覧中のページでブラウザ上部のブクマダイバーボタンを押すと、そのドメイン内の人気ページ一覧を表示する。ただそれだけなのだが、もともとのはてブドメイン内検索が素晴らしすぎるためにこの拡張機能も素晴らしいものとなっている。開発中からこの素晴らしさに胸を打たれていた。是非とも多くの人に使ってもらいたい。拡張機能Google Chrome用しかないが、その他のブラウザのためにもブックマークレットを用意している。シンプルな機能なので、ブックマークレットでも充分に使える。

 

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Wikipedia拡張機能のボタンを押すと、このような画面が表示される。→実際のページ

 

 ブクマダイバーというサイト自体がどういうものかというと、トップページははてブのホットエントリーを表示している。ブクマダイバー自体に特別な機能はなく、完全にはてブを使い倒すためのサービスなのだ。
 しかしただホットエントリーを表示するのではなく、「記事を読む前にコメントもチラッと見たいなー」という個人的ニーズに応えるため、ホットエントリーの記事一覧と共にコメントも表示している。なかなか良い。

 それだけでなく、記事のあるサイトでのブックマーク数の多いページも1クリックで表示出来るようにしてある。
 気に入ったサイトがあれば「ウォッチリスト」に登録し、こまめにチェックすることも出来る。

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 はてブ検索もブクマダイバー上で出来る。それにより、検索にヒットした記事一覧をコメント付きで確認出来る。当然1クリックで記事のあるサイトの人気ページも確認できるし、そのサイトや、検索ワードを「ウォッチリスト」に入れることも出来る。

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(→「橋本環奈 gif」で検索した実際のページ) 

 

 ブクマダイバーははてブの機能が持つポテンシャルを引き出すだけのサービスなので、登録も必要なく、手軽に使えるようになっている。
 別にキュレーションサービスが作りたいとかそういうことでなく、ただ自分のニーズに合った形ではてブを使い倒したいという思いで制作を決めた。だから開発途中の時点で常用するようになったし、自分と似たニーズを持つはてブユーザーにも是非使ってもらいたいと思っている(非営利なので爆発的に広まったらサーバー代で泣くけどw)。
 特に拡張機能
 これのおかげでネットの面白いコンテンツをどんどん発掘出来る。あるサイトで面白いコンテンツを見つけたら、大抵はそれだけでなく、他にも面白いコンテンツがたくさんあるものだ。そのほとんどを普段は見逃していたが、ブクマダイバーの拡張機能があれば、1クリックで出会えるようになる。
 いやー素晴らしいよ、ブクマダイバー。

 もはや誰にも使われなくても、自分がこれを使えるというだけで満足してしまうレベル。

 はてブの素晴らしい機能とオープンなAPIを用意してくれたはてなさん、ありがとうございます!

 

 

 ちなみに開発はGitHubでオープンに進めている。何か機能を足したほうがいいんじゃないかと思った場合は、勝手に上手いことやってPull requestしてくれると、そのまま機能が追加されちゃうかもしれません。 

 

ねぇ、飛び級しない?

 僕は小学生のころ、問題児として扱われた時期があった。与えられた席は特等席。一番前の席よりもさらに前。教卓の真横だ。ふざけんなよ。

 そうなった理由は、僕が大人しく授業を受けられないからだ。まぁ……言い分は理解できる。

 僕の他にもう一人、特等席を与えられた子がいた。やはり彼も僕と同様に、大人しく授業を受けられない。まったくしょうがない奴だ。

 そりゃ僕だってしょうがない奴には違いないのだけど、今思えばこの特等席が、日本の教育システムの問題を端的に示しているように思える。

 

 僕じゃないほうの問題児は、先生の話をまともに聞けず、すぐキレて、テストでもほとんど点を取れなかった。それを何とかケアするために、特等席を与えられていた。

 じゃあ僕も同じかというと、そうではなかった。先生の話はすぐに理解したし、指されても即答出来たし、練習問題もすぐに解き終わったし、テストは基本的に100点だった。

 ではなぜ問題児とされたのか。それは退屈だったからだ。先生の話をすぐに理解し、退屈だった。何を問われても答えられるくらい理解していたから退屈だった。練習問題もすぐに解き終わったので退屈だった。

 所詮は小学生だ。退屈ならおしゃべりもする。そして怒られる。また退屈になれば別のことをやったりする。そして怒られる。怒られずにできることといえば、教科書を読むことくらいだ。でもそのせいで、次の授業は先生の話を全く聞かなくてもよくなり、もっと退屈になってしまった。そうなると、もっといろんなことをして、もっと怒られた。そうして僕は「問題児」となった。

 

 結局僕は、日本の教育システムからあぶれてしまったのだ。出来るか出来ないかの問題じゃない。「平均的な子供」でなかったことがいけなかったのだ。

 塾になんか行っていなかった。予習も復習もしない。宿題以外の勉強もしなかった。僕が特別なことをした訳じゃない。「話を聞け」と言われたから聞いた。「問題を解け」と言われたから解いた。「テストを受けろ」と言われたから受けた。それを全て上手くこなして退屈になった結果が、「他の子が出来るまでじっとしてろ」だ。小学生にそれは難しくないですかね。

 もう一人の「問題児」だって同じようなものだ。彼が何かしでかした訳じゃない。話が聞けないのも、感情をコントロールできないのも、テストで点を取れないのも、彼自身の能力の問題だ。それによって「平均的な子供」でなくなってしまっただけだ。構造的には僕と変わらないはずだ。

 だけど公立小学校のシステムだと僕らは単なるイレギュラーな存在でしかない。当時はぼんやりとした不満しか抱けなかったが、今ならはっきりと言える。システムが悪い、と。

 別に僕が天才的な能力を持っていたわけでもない。あくまで小学生のレベルだとよく出来たというだけで、小学生を逸脱するような能力は持っていなかった。だから僕のように退屈を押し付けられていた子は、だいたいどこの小学校でも各学年に10人くらいはいたんじゃないかと思う。決して珍しい存在じゃないし、僕だって最終的には大した大学にも行っていない。

 

 高校や大学での飛び級がよく話題にはなるけれど、義務教育期間、特に小学校にこそ飛び級制度が必要だと思う。もちろんその制度には、留年も含まれる。

 もしあの当時に飛び級制度があったら、なんてことをつい考えてしまう。きっと「問題児」として退屈な授業を受ける日々はなかっただろう。

 上のレベルに挑戦したとしても、敗北を喫するだけだったかもしれない。だけど、ただ単に退屈を押し付けられるだけだった時間が、何らかの勉強に使われるだけでも充分に有益であったはずだ。

 もう一人の「問題児」も同じだ。能力的に出来るはずもないことをやらされ続けたが、当然出来るわけもなかった。「能力には個人差がある」という事実を隠蔽するかのように、問題は「頑張ったか頑張らなかったか」にすり替えられ、彼は「頑張らなかった子」の烙印を押されて学業という枠組で落ちぶれていった。今のシステムでは、何度「彼」が出現しても、一向に彼を救えない。

 でも留年制度があれば、彼の成長に合わせて学年を進むことが出来れば、少しは違ったんじゃないかと思う。「みんな画一的に学年を進むのが平等」という見せかけの平等が、弱者が弱者でなくなるチャンスを奪っているように思えてならない。

 早生まれの子も同じだ。3月生まれなんて、4月生まれとほぼ一年の差がある。発育のスピードにだって個人差があるのだから、場合によってはとんでもない能力差が生まれてしまう。しかし現状だと「早生まれだし仕方ないよね」で済ますしかない。

 

 ただ、現状からいきなり飛び級制度を施行するなんていうのは不可能に近い。今のような完全に「クラス」という集団で学校生活をしている中だと、飛び級していいと言われてもなかなかしづらい。それだと僕だって飛び級しなかったかもしれない。

 きちんと機能する飛び級制度を可能にするには、クラス全員が同じ行動をするのではなく、各人が自分の受ける授業を受けに行くという高校の選択授業のようなシステムに変えないと難しい。小学校にそれを採用するにはそれなりに工夫が必要だろうが。

 上か下に飛び抜けた子の特例を許可する、という程度では基本的には今と大して変わらないのだ。その程度だと僕のような子は飛び級出来るほどでもなく、やっぱり退屈を押し付けられ続ける。

 また、飛び級制度施行後も、飛び級したり留年したりする子がそこそこいないと意味が無い。あくまで特例措置でなく、当然起こり得ることとして運用されなければならない。

 

 このようなことを踏まえると、まず実現すべきなのは飛び級制度よりも、習熟度別授業の普及だと思う。

 私立では結構行われているだろうし、公立でもやっているところはある。ただ、全ての公立小中学校で行われるべきだ。

 とはいえ、クラス自体を習熟度で分けてしまってもなかなか上手くいかないだろう。小学生では学力の変動も激しいし、小学生から常に格付けされ続ける状態になってしまう。

 そうなると先生方がかなり上手く運用していかないといけない。小学校の先生の力量に頼るようなシステムは絶対駄目だ。日本の制度だと、どうしても小学校ほど能力の低い先生が集まるような構造になっている。先生が優秀でないと学年ごと芽を摘まれてしまうのは当たり前、なんてシステムではいけないのだ。

 だからクラス分けにおいては今まで通りでいい。習熟度で分けるのは主要教科の授業だけだ。今までのシステムで上か下にあぶれてしまった、「平均的な子供」ではない子をケアするための授業を用意すべきなのだ。

 複雑なことではなく、特に出来る子と特に出来ない子が、主要教科において別室の少人数授業を受けるようにすればいい。それ以外の子は、今まで通りの授業を受ける。

 少人数だから、出来る子と出来ない子を同室に集め、一人の先生が別々の授業をすることだって可能だ。また、通常授業と同じ教科を同じ時間に受ける必要もない。通常授業で国語をやっている時に少人数授業で算数をやったとしても、最終的な授業数が同じなら問題ない。だから複数のクラスから集めて少人数授業を行うことだって出来る。このようにやっていけば、教員もそこまで不足しないで済むはずだ。

 この程度の習熟度別授業なら、現状のシステムにちょっと手を加えるだけで実現できる。ちょっとしたことなのだけど、これであぶれてしまう子がどれほど救われるか。

 私立に行けばいいだとか塾にいけばいいだという考えもあるだろうが、それでは結局金の問題になってしまう。生まれた家庭によって人生のかなりの部分を左右されてしまうのは当然のことだが、それでも公立ならば平等に、しかも多様なチャンスを与えるべきだ。

 

 ただ、日本にはびこる、画一性と平等を混同した悪平等主義が、このちょっとした習熟度別授業の実現すら阻むかもしれない。保護者や教員の反対は多少なりともあるだろう。徒競走で順位を付けないのが理想だと考えるような人間はどこにでもいるものだ。

 しかし、能力の違いを認めないその態度こそが、能力の差を埋めたり、秀でた能力をさらに伸ばしたりするチャンスを奪っているのだ。彼らに屈してはならない。

 多くの日本人がぼんやりと抱く、画一的であろうとする意識までもが悪だと言っている訳じゃない。その意識こそが日本の民度を諸外国よりも遥かに高くしている要因であることも事実だろう。しかし、それが行き過ぎたり、それではカバーできないものについては、はっきりとNOを突き付けなければならない。

 

 僕は隙あらば今の教育システムを変えてやろうと目論んでいる。どうにかして外側から揺さぶることは出来ないものかと思案している。救いたいんだ、出来る子も出来ない子も。

 でも、そう簡単には出来ないし、今すぐ出来ることでもない。だからブログでちょこっと愚痴ってみた。同じような問題意識を抱く人が少しでも増えればいいなとも期待しつつ。

 

 出来る子ほど授業が退屈になってしまう状態は、まだまだこれからも続いてしまいそうだ。家計に余裕が無いと、解消する術がないのだ。そして退屈に耐えられなくて別のことを始めてしまう子は怒られ、「問題児」になっていく。

 だけどそんな「問題児」が生まれた時、教員が怒鳴るのではなく、こんな一言を投げかける未来であってほしいと切に願っている。

 

 ——ねぇ、飛び級しない?

 

 

月間1000万PV突破したけど儲からねぇなこれ

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 去年8月に始めたアプリ☆メーカーだが、先月7月のPVが1103万だった。

 月間PV数なんて人に言うくらいにしか役に立たないのでろく見ていなかったが、ふと6月にチェックしてみたら900万を超えていてびっくりした。

 こりゃもしやと思ってチェックし始めたところ、期待通りに7月は月間1000万PVを達成した。

 他人事のように言うけれど、個人でやって月間1000万PVってすごいなぁと思う。

 でも既に作っちゃったサービスだし、そんなことより次のサービスが気になる。誰かアプリ☆メーカー買ってくれないかなぁ、なんて思ってしまう。

 僕は釣った魚よりもこれから釣る魚に興味があるのだ。

 

 こうも冷めてるのには他にも理由があって、実のところ、アプリ☆メーカーはそんなに儲からないのである。

 理念で掲げる「新しい収入源の提供」を実現するため、アプリ☆メーカーはユーザーに広告収益をあげちゃうという捨て身運営をしてるからだ。運営はユーザーのおこぼれをもらう程度であり、サイトが生み出す広告収益の1割程度しか得られていない。サーバー負荷が半端ないサービスなので経費もかかる。

 だから実質的には月間100万PVのサイトと同じくらいの収益だろうと思う。月間100万PVでは、はっきり言って広告収益だけでは「儲かってる」と言えるレベルにはなれない。

 収益率を上げるための施策とか頑張ればもっと儲かるのかもしれないが、面倒だ。面白くない。

 なので本当にいっそのこと誰かがポーンと1億くらい出してアプリ☆メーカーを買ってくれると楽でいいのになぁと思う。

 

【2015年末追記】

さらに成長してちょっと儲かり始めました。ありがとうございます。

Google Japan本社に呼ばれた話

 突然Googleからメールが来た。

 内容は、「AdSenseの有力ユーザーを集めてセミナーとか懇親会とかやるから来なよ!」というもので、そりゃまぁ行きますわ。すぐに参加希望の申し込みをした。

 

 というわけで5月25日、六本木ヒルズにあるGoogle株式会社(Google Japan Inc.)のオフィスで開催された「2014 AdSense Partner Summit in 東京」に参加してきた。サミットと言うからにはなんかすごいんだろうな、と期待しつつ……

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 25日の朝10時前に会場であるGoogle Japan本社に到着すると、六本木ヒルズのスタバの横に受付があった。そこで招待状と名刺1枚を渡した。

 名刺1枚を渡すというシステムについては、おそらく懇親会で100人規模の名刺交換が始まると収集が付かなくなってしまうので、あらかじめ1枚だけを預かり、その情報をうまく共有させて円滑に事を進めるためだろうと予想した。このイベント自体がGoogle+で管理されていたので、名刺情報もそこで公開範囲を参加者に限定して共有すれば、参加者にGoogle+という自社サービスを利用させつつ同時にコミュニケーションを促すこともできる。

 名刺1枚を渡すというシステムの裏にこういうスマートなアイディアが見えたので、僕は「Google先生はやっぱり頭がいいなぁ〜」なんて思った。

 が、聞いてみたら実際は名刺1枚を渡すことに大した意味はないようで、「どういう人が参加したのかをGoogleが知るため」という程度であったw 僕が見たスマートなアイディアは幻覚でしかなかった。そしてイベント終了後も参加者の情報は特に共有されないという……

 

 それはさておき、受付を済ませるとGoogleのオフィスがあるフロアに案内された。サミットはまずセミナーから始まる。それが始まるまでの間は、「バー」と呼ばれるところで待つ。

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  一見すると、単に他人同士が集まってそわそわした感じだ。しかし招待されたのはAdSenseで稼いでいる猛者およそ100人だ。大手サイトのように月数百万、数千万を稼ぐようなレベルではないかもしれないが、ここに呼ばれている以上、みな只者ではない。戦いは既に始まっていたはずだ。僕の実力では確認出来なかったが、おそらくこの時点で命を落とした者もいるに違いない。脱落者というのは得てして人知れず消えゆくものだ。

 

 始まるまでは朝食を自由に食べていいとのだった。バーカウンターにはパンや飲み物が用意されていた。

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 何も食べずに来た僕はお腹が空いていたので、チョコパイとくるみパンとコーヒーをもらってきた。

 結構ボリュームがあるせいで食べるのに時間がかかり、セミナー開始ギリギリまで食べ終わらなかった。

 その結果セミナーを行う部屋の席はほとんど埋まってしまい、中途半端な隙間の席に「すいません、ここいいですか?」と言って座った。

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 水は飲み放題。

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 セミナー開始前には、GoogleのCMが流されていた。開始後の撮影はNGなので、セミナーに関する写真はこれだけ。

 セミナー内容は、主にモバイルの重要性についてだった。非常に正しく、そして重要なことではある。

 ただ、AdSenseで稼いでいる人が呼ばれているので、モバイルが欠かせないのはみんな痛いほどわかっているだろうし、そもそもモバイル欠かしてここに呼ばれた強者なんているのか!?と思わずにはいられなかった。

 

 セミナーは午前と午後に分かれており、午前が終了すると懇親会と称した昼休みになる。

 Googleの食堂と言えば、専属シェフが振る舞う豪勢なバイキングで有名だ。僕はわくわくしていた。この昼休みにそれを堪能できる! そう思うとセミナー中からよだれ垂れ流し状態であった。このサミットに参加したのもむしろ食堂目当てだったと言っても過言ではなかった。

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 しかしだ! 昼食で食堂は使われず、朝食と同じようにバーカウンターに軽食が並ぶだけだった!

 これはショックだった。大いにショックであった。写真の奥には食堂の扉が写っている。てっきりその扉とともに食欲のパラダイスが開かれるのだと思っていた。自分は楽園へのチケットを手にしていたのだと思っていた。ああ食堂よ……それははかない夢であった……

 

 落ち込んでいても仕方ないので食べ物とグレープフルーツジュースを取ってきた。

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 唐揚げも取ってきた。

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 唐揚げの下にはポテトがこっそりと仕込まれている。参加者は日本人らしさを発揮していて、みんなちょっとずつしか食べ物を取って行かなかった。そのせいで唐揚げが結構あまっていたので、僕はもう一回唐揚げを取りに行った。

 バーの窓側はこんな感じで、とても見晴らしがいい。

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 そしてお分かりいただけるだろうか、この懇親してる感じの全然ない懇親会が……

 懇親会と名の付いているものの、Google側が何かをするわけでもなく、ただの昼休みだった。「面識のない人達を100人集めたとしても、自由にさせとけばみんなすぐに打ち解けて盛り上がっちゃうよね☆」というメリケン思考で企画してしまった感がある。「ルールやモラルで縛らずに日本人を動かす」という行為の難しさを見くびっているように思える。集まった人達も、大雑把に言えば「日本人をどう動かすか」を日夜考えている人達なわけで、僕以外にも同じように思った人はいるだろう。

 まぁこの写真が撮られた後に段々と会話する人も増えたのだが、活発に懇親が行われて盛り上がっていたとは言えない状態だった。

 

 会場にはこんなものも。

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 ストリートビューのあれこれ。

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 モニターに囲まれてストリートビューをがっつり体感できる装置もあった。最初は「おお!すげぇ!」と興奮したが、いろいろいじってみると意外と面白くない。

 

 午後のセミナーの詳しい内容は忘れたが、多言語対応の重要性についてだとかそういうことをやっていた。

 午前、午後のセミナー両方で思ったことがある。

「これ、レジュメでよくね?」

 質疑応答もなく、スライドを順次表示しながら進め、一方的に情報を伝えていくという真面目なスタイルだ。でもそれならばレジュメを配るほうが効率良さそうだし、参加者もメモを取る必要がなくて楽だ。

 セミナーの撮影がNGなので情報の秘匿のためなのかもしれないが、セミナー内容はデータの提示と概論に終始していたので、全情報が公開されても特に問題なさそうである。

 価値のないセミナーでは決してなかったが、一参加者にとしては「そうだよね、そうだよね、あるある」という程度の情報しかもらえなかったのが非常に残念であった。

 

 しかし、セミナーの後の個別事例のパネルディスカッションは面白かった。有名サイトの運営者が3人登壇し、「実際に何をやったのか」について話してくれた。

 これはそこそこ具体的な話をしてくれたので結構良かった。あまり長い時間はやらなかったが、こちらをメインにした時間配分だったらもっと面白くなったかもしれない。

 

 パネルディスカッションが終わると、後は申し込んだ人だけが参加するワークショップがあるだけで、全体としては解散である。

 僕はワークショップを申し込んでいなかったので、これで終了だった。もっとすごいことが起こるんじゃないかと期待ていたが、なんだか消化不良気味に終わってしまった。

 せっかくGoogleに来たのだから、なんか記念にほしいなぁとも思ったが、ここは観光地ではない。お土産屋さんのように「Googleに行ってきましたまんじゅう」だとか「Androidカステラ」とか「AdSenseクッキー」なんてあるわけ——

 

 

 

 

 

 

 

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 あったぁぁぁぁ!!! なんとアンケートに答えたらAdSenseクッキーがもらえたのだ!

 なんだこれ! なんでこんなん作った!?

 

 AdSenseクッキーを大事にしまいつつ、バーカウンターに目をやるとお菓子がいっぱい並んでいた。またこれも自由に食べていいという。

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「健康なんか……どうなったってかまわない!」という覚悟を感じ取れる鮮やかなGoogleの文字。

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 こんな風に何でもかんでも自由に取らせれば喜ぶと思うのは大間違いである。

 まぁ、全部取ったけど……美味しかったけど……

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 見晴らしのいい席でおやつタイム。

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 なんとお酒も飲み放題だった。

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 でもセミナーに来てお酒をもらう日本人なんてそうはいないだろうにw

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 ……モヒートもらいました。

 

 

 

 

 Google、最高だよね☆

 

 

 

 

 

 

 さて、帰る前にGoogleの社員さんとも少し話したのだけれども、このサミットは手探り感満載だった。Googleに来られただけでも結構楽しいのだから、もうちょっと工夫すれば相当面白いイベントになったはずだ。

 根本的なところで良くなかったのは、参加者に「なぜ呼ばれたのか」を理解させないまま呼んだことだろう。ビジョンを提供しなかった。だから参加者はどう行動するのが正しいのかを判断出来ず、ただ座って話を聞くだけで終わってしまった。AdSenseの猛者と言ってもそれは同時にGoogleに生殺与奪を握られているようなものなので、自分の判断で勝手に行動するなんてことは到底出来ない。すごい人達が集まっているのに、なんらかのクリエイティブなアクションをしやすい場でなかったのは、非常にもったいない。

 

 とはいえ、結構ボロクソに言っているようだけども、楽しかったのでまた開催されたら行きたいと思う。

 とりあえず以下の点を実行すれば、個人的には相当面白くなるんじゃないかと思う。

・サミットの目的を明確化して周知

・承諾した参加者の情報をGoogle+で限定的に共有し、コミュニケーションを促進

・懇親会を「日本人の懇親のためのアーキテクチャ」として設計する

・レジュメでセミナーの時間を短縮し、パネルディスカッションの時間を増やす

 特に懇親会をうまく設計してほしいと思っている。

 たとえば当ウェブ研はCGMメディアを主に作っているのだけど、そうなってくるとスマホゲームを作っている人やブロガーやなんかとはやってることが大きく違う。だから互いに懇親を図ろうとしても、使う用語すら通じないことだってあるだろう。おまけにいろんな人と懇親を深めても互いのサービスには全く役立たないなんていうこともあり得る。

 したがって「AdSenseユーザー」で一緒くたに懇親会をしても無駄が多く、分野ごとに集めたほうがいい。

 もっと言うと、どうせ放っといてもみんな積極的には話さないから、分野ごとの班に分け、それぞれの席も決め、Google側で決めた順番で強制的に自己紹介や個別事例を話すようにしたっていいくらいだ。

 異分野との交流が無意味だとは思わないが、せっかく集まっているのだから同じ分野で交流をどんどん促進させてこそ面白くなるはずだ。

 

 また、パネルディスカッションはゲスト以外を登壇させたっていい。共有した参加者情報があれば、「登壇してもらいたい方がいるという方はいませんか?」とでも聞けば他薦で登壇候補が何人も出てくるだろう。そうなれば実際に登壇してくれる人もいるはずであり、実際にAdSenseで稼いでいるのだから、適当に質疑応答を進めれば面白い情報をしゃべってくれるだろう。

 

 というわけで、次回はもっと面白いイベントになってくれることを願っている。めっちゃ願ってる。

 

おまけ

 ちょうどオクトーバーフェストがやっていたので帰りに寄ってみた。

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 いろんなビールとドイツ料理。大人の縁日という感じ。

 

 なんだかんだで結構楽しい一日でした。

 Google先生、ありがとうございました!

 

 

他の方の記事

 この記事では真面目にイベント内容を書いていないので、詳しく知りたいという方は他の参加者の方が書いた記事を読んでください。

 

Google AdSense日本版公式ブログ

 Inside AdSense : 2014 AdSense Partner Summit in 東京を開催しました

 参加者みんなで記念写真を撮るとのことだったが、僕がラウンジに行った時にはもう撮影が終わっていた……

 

・参加者の記事

 Googleで聞いたサイトを中長期的に成長させるポイント | iscle[イズクル]

 AdSense Partner Summit in 東京に参加してきたので、セミナー内容のメモをシェアします | Someya Masatoshi.jp

 【レポート】AdSense Partner Summitに行ってきた!ユーザーに焦点を絞れーー!!| らふらく^^ ~ブログで飯を食う~

 Google Adsense Partner Summit in 東京! | Yujiro Sakaki Website

 5/25「AdSense Partner Summit in 東京」に参加した | アフィリエイト執事ブログ

 Google の「2014 AdSense Partner Summit in 東京」に参加してきました | なにごとも経験

 2014 AdSense Partner Summit in 東京に行ってみた | TRIVIAL TECHNOLOGIES 4 @ats のイクメン日記

 Google AdSenseの東京イベント・セミナーに行ってみた。アドセンスのお勉強|ミマコの素肌美人ブログ

 AdSense Partner Summit in東京

 

追記 

 モバイル端末でいくつかの画像が上下逆になるのを修正しました。

サーバーを使わないWebサイト作った

 Webサービスを作る若者の集い - はてなブログ グループにまだ誰も参加してくれないので(これを書いている時点では)、まずは自分のサービスを紹介しちゃう。

 

 WebRTCという技術があるんだけど、そいつはブラウザさえあればサーバーを介さずにユーザー同士を繋いじゃう技術だ。要はブラウザだけでP2P出来ちゃうぜ、変なソフトとか特別な設定とかなんもいらないんだぜ、という夢のテクノロジーなのである。おまけに実装も難しくなく、また、どのブラウザでもそこそこ対応が進んでいてる。

 そんな面白い技術があるのだから、ウェブ研でもさっそくWebRTCを使ったサービスを作ってみた。

 

 ペーパートーク - WebRTCでチャット・通話・ファイル送信 -

 

 ペーパートークはサーバーを介さずユーザー同士がチャット・通話・ビデオ通話・ファイル送信出来るサイトだ。面倒な登録やなんかも一切なく、アクセスすれば即使える。

 仕様上、ユーザーがサイトにアクセスした瞬間にはちょっとだけサーバーを使うが、サイトの基本機能であるチャット等では一切サーバーを使っていない。だからこういうリアルタイム通信をするサイトはサーバーに滅茶苦茶な負荷がかかってしまうのが常なのに、ペーパートークではどれほど大容量のデータをやりとりしても負荷はほとんどない。実際ユーザーとしてはそんなの知ったこっちゃない話だが、開発者サイドからするとこれは夢がありまくる技術だ。

 ただ、夢の技術とはいえ問題点は山ほどある。まず、WebRTCの対応度合いが各ブラウザでまちまちで、モバイル版だったり、ユーザー同士が異なるブラウザだったり、同じブラウザのバージョン違いだったりすると機能しないことがある。そのうち規格が統一されてそういう問題も解消されそうだが、すぐに解消されるという訳ではなさそうだ。

 さらに、送信するファイルが10Mを超えてくると上手く送れないことが多かったりもする。

 

 だからまぁ実際のところはまだ全然実用的じゃない技術なのだけど、とにかく夢がある。

 この夢の技術に興味がある人は、是非ともペーパートークをいろいろいじってみて、WebRTCの可能性に胸を踊らせて欲しい。

 

 ペーパートーク - WebRTCでチャット・通話・ファイル送信 -

 

個人でWebサービスを作る若者のためのグループを作った

 ネットというのは本当に素晴らしいもので、個人がいきなり世に制作物を発信できる。

 しかし、情報の海たるネットではやっぱり埋もれがちだ。個人制作のWebサービスでも、作ってすぐ流行るのは結局「○○のXXさんが作った」などの何らかの下地がある場合がほとんどだ。なんの下地も繋がりもない個人が良い物を作ったところで、すぐ人に使われるなんてことはあり得ない。そういう面では依然として個人にやさしい環境ではない。当ウェブサービス研究会の制作物はお陰様でそこそこ使われているものの、今に至るまではただただ暗中模索の日々だった。

 

 僕はこんな現状を変えたいと思った。

 一個人が何か作ったとしよう。紹介する相手もいない。じゃあどうすればいいのか?

 その答えが必要だと思った。

 具体的には、互いに制作物をチェックし、面白そうなものがあれば世に発信していくコミュニティが必要だと思ったのだ。

 必要なら存在しなければならない。誰も作らずにいる状況でなお、それを欲するならば自ら作る以外に道はない。

 だからまず手始めに、はてなブロググループで作った。

 まだ人は集まっていないが、もう機能はする。僕がいるからだ。少しずつになってしまうだろうが、なるべく参加者の制作物を世に発信していきたい。

 

 ただ、グループはきっかけに過ぎない。はてなブログ利用者に限定されてしまうし、「答え」としては物足りない。

 将来的にはWebサービスとしてしていきたいと思っている。「どうすればいいのか?」という問いに対して「ここに来ればいい」と答えられるような場所であり、何も持たざる若者が世に名乗りを上げるためのインフラだ。

 

 その前身となるものに、参加してみませんか?

 

 Webサービスを作る若者の集い - はてなブログ グループ