マストドンの真の強みはクラスタの可視化である

 近頃急にマストドンmastodon)なるものが流行り出した。以前から名前は聞いていたものの、僕は流行り始めからやや遅れた先週末にマストドンの盛り上がりを知った。
 マストドンTwitterを模倣したものであるが、調べるほどにマストドンはすごいものであるように思えた。
 そもそものTwitterの基本仕様はとてつもなく完成度が高く、もはやインフラとしての使用に堪えうるレベルにまで達している。となると、もはや本当のインフラに近づいていくのは必然だ。メールのように、決められたルール従ってみんなで乗っかるものになっていくのだ。
 その潮流に乗った大きな船としてマストドンがやってきた。

 

 ただ、ユーザーにとっちゃそんなことはどうだっていい。技術的な新しさだとか歴史的経緯だとか信用度だとか、そんなことは大きな問題ではないのだ。
 何が魅力か。ほとんどそれで決まる。

 

 じゃあ何がマストドンの魅力なのかと言えば、クラスタの可視化だ。インスタンスごとに何らかの方向性を持つようなアーキテクチャとなっており、いわばインスタンス=クラスタの性質を持つ。だからインスタンス内のローカルタイムランを見れば、クラスタの輪郭を簡単に確認できる。また、新規参入者でも発言すればそのインスタンスのローカルタイムラインに流れ、そのクラスタから存在が認知される。これは滅茶苦茶強い。
 Twitterクラスタは、基本的にはTwitter以外の場所での繋がりが基盤となっていることが多い。だからTwitterからクラスタ内の人間や発言を確認しようとしても難しい。そしてクラスタの人間をたくさんフォローしたとしても、新規参入者のつぶやきがクラスタから認知されることも滅多にない。

 

 クラスタが可視化されると、登録してから楽しさを感じるまでの流れもスムーズになる。
 Twitterに登録した場合、最初に有名人をあれこれフォローしろとうるさい。なぜそうするのかというと、最初に5人だか10人だかをフォローしたユーザーは継続率が高いというデータがあるからだ。それはつまり自分が興味を持つ人を何人かフォローしないと、継続に値するほどTwitterの楽しさがわからないということである。
 一方でマストドンは有名人をフォローしろだなんて言ってこない。必要ないからだ。インスタンス内のローカルタイムラインを見れば、クラスタの活動、つまり自分と興味が一致する人達の発言で満たされている。もうそれだけでTwitterが必死になって伝えたかったTwitterの面白さの半分は伝わる。ローカルタイムラインから好みに合った人をフォローするのも難しくないので、もう半分もすぐに伝わってしまう。うん、強い。

 

 インスタンス=クラスタというマストドンの性質を考えると、既にTwitter上に存在するクラスタを呼び込むと、たぶん強いインスタンスになる。活発なクラスタを呼び込むことで、活発なインスタンスを生み出せるのだ。Twitter上でも活発なクラスタであっても、クラスタ内交流の相性はマストドンの方が高く、ローカルタイムラインによって新規参入もしやすい。クラスタインフルエンサーをうまく呼び込むことができるかが鍵だ。
 逆に特定のクラスタを呼び込まないインスタンスは、強みを活かせないので長期的な運営が難しいだろう。黎明期なら「マストドン黎明期クラスタ」とでも言うべきものであるが、熱が冷めて日常のつぶやきが大半を占めるようになった時、クラスタが瓦解する。そうなってしまうと開墾し放題だったのが一転、Twitterと同じ土地を奪い合うことになる。倒し甲斐のある相手だが、とてつもなく厳しい戦いになる。

 

 そんなことを考えながら日本のインスタンスはどうなってるのかなと思って調べてみたが、この盛り上がりに対して既存のクラスタを呼び込んだ場所があまりにも少ない!

 

日本のマストドンインスタンスの一覧


 なんでだよ!
 もっと既存クラスタインスタンス化進めろよ!
 マストドンTwitterの墾田永年私財法だろうが!

 

 と叫びたくなるくらいマストドンの強みを活かしている人が少ないのである。マストドンの強みを僕がまるっきり勘違いしているのだろうか。それともインスタンスを立てている人の多くがマストドンの強みについて考えていないのだろうか。
 もし後者だったら面白いことになりそうなので、採算度外視でインスタンスを立ててみることにした。

 

 まずは正攻法として、既存のクラスタを呼び込む。オリジナル小説を書くクラスタにはすぐリーチできそうなので、彼らのためのインスタンスを作った。
 シンプルなkakudon.comというドメインが空いていたので、カクヨムあたりが取る前に取ってしまった。

 

 https://kakudon.com
 ※近日公開予定

 

 クラスタを呼び込むと言っても、ただ連れてくるだけじゃ駄目だ。参加者の振り分けが適切であるからこそ、クラスタとしての純度が高くなって面白くなる。
 だからそのクラスタの人に「自分のためのインスタンスだ」と感じさせ、同時にそのクラスタと親和性が低い人に「自分のためのインスタンスではない」と感じさせないといけない。つまりは明確なターゲティングと強い排他性である。
 排他性が強すぎると当然ながら人が集まらなくて全然面白くならないが、小説を書く人はそれなりに多い。とりあえずオリジナル小説を投稿したことのある人限定という、強めの排他性に設定してみた。
 インスタンスの人数が増えた時に、一瞥して自分の好みに合うかどうかを判断できないとスケールしないと思ったので、プロフィールに好きな作家か作品を書いてもらうようにした。こうして小クラスタを内包し得る仕組みにすれば、大きなクラスタに育っても瓦解しないのではないだろうか。

 

 そしてここからが本題。
 マストドンインスタンス=クラスタという性質から、もう1つのやり方も考えられる。
 それはインスタンスの方向性を明確にすれば、今まで存在しなかったクラスタでも作れちゃうのではないかということだ。
 コミュニティというのはある程度恣意的に形成されるものではあるが、上下関係がない場合には、その文化においてはやはり自然の成り行きで形成される部分が多い。だから「自分の理想の場」なんていうのを思い描いても、そういう場を見つけたり作ったりすることは滅多にできない。
 ところがだ、インスタンスの方向性はかなり作り込むことができる。となると、クラスタが持つ文化もそこそこ意図的に作れるのでないかと考えた。

 

 僕は以前から、オリジナルのWebサービスを作る人達のコミュニティが欲しいと思っていた。技術的なことじゃなく、面白いものを作ろうとする意志で繋がる場である。
 そういう人達の小さな集いはそこらじゅうにあるものの、それは見知らぬ人が気軽に参加できるような場ではない。それでは駄目なのだ。たとえばたった一人で誰とも交わらず開発を進めてきた人が、ふと同じ道をゆく人と話したかった時に話せる場所じゃないと駄目なのだ。リアルでの繋がりに依存せず、意志のみに依存する場が欲しいのだ。
 インスタンスの方向性をうまく設定して、なおかつ人を集めることが出来たら、もしかしたらマストドンでそういう場を作れるんじゃないか。
 そう思うと、今すぐ作らなきゃいけない気がした。

 

 oriwebdon.com

 

「オリジナルのWebサービスを作る人のためのMastodonインスタンス」を強引に略し、oriwebdon.comというオリハルコンみたいな語感のドメインにした。オリジナルのWebサービスを作る人のクラスタという概念を刷り込む役割もあるので、すっきりしたドメインは放棄した。
 また、知らない人に質問や助言をいきなり投げる行為のハードルを低くするためのルールを設定した。マニュアルに従って何かを制作するのではなく、自分の作りたいものを作る場合には、常に何かに悩まされる。そんなとき気軽に情報をくれる場があれば素敵じゃあないですか。そして自分が持っている情報を気軽に提供して貢献できたら素敵じゃないですか。そんな場所が欲しいんですよ。

 

 というわけでオリジナルのWebサービスを作る人は、是非オリWebクラスタインスタンスへ参加してください!

 

oriwebdon.com

 

追記

 技術的な問題でああだこうだ言っていた人でさえ、だんだんマストドンの凄さを実感してきたようだ。

cpplover.blogspot.jp

 

 マストドンの強みは新しいインターネットの境地を切り拓いていくのではないだろうか。

 

主人公問題

やっていき.fmの第7回を聴いている。

yatteiki.fm

まだ半分くらいしか聴いていないが、今週もとても興味深い話をしていた。

やっていき.fmのサイトには、「やっていき宣言」というのものがあり、そこの一文にこう書いてある。

モブよりも主人公 を、価値とする

今回出演していたgong023氏はそこに対して価値観の違いを感じており、自分なりの主人公観を語っていた。僕はその内容にとても共感できた。

詳細に述べるのは面倒なので、内容をざっくりとまとめたい。先程引用した一文では、自らのスペックで物事を打開していくタイプの主人公を理想としており、ともすればモブにあたる人物を軽視しているとも取られかねない。一方gong023氏は、誰よりも悩んであがき苦しみながら、多くの人の手を借りて問題を解決していくタイプがより理想的な主人公であると語った。

僕もどちらかと言えば後者に近い考え方をしている。前回書いたリーダーシップに関する記事においても、端的に言えば「リーダーシップとは心理的コストを肩代わりすること」と結論付けた。

ただ、これは「主人公」によりヒーロー的資質を求めるか、リーダー的資質を求めるかの差であるような気もする。この2つは相反するものではない。どちらの成分が多いほうがより価値観に沿うかどうかという問題である。gong023氏も、個々が高スペックでありながらモブを大切にしたりモブに徹することもできるのがさらに理想的であると語っていたので、ヒーローとリーダーの両方の資質を持っているほうが良いと考えているように見受けられる。

僕自身は、gong023氏に共感できるしリーダーとしての資質を持った主人公のほうがより好みだ。もしかすると、gong023氏よりもさらに好みが極端かもしれない。リーダー的資質を際立たせるため、思いっきり低スペックでヒーロー的資質が皆無なパターンなんていうのはかなりぐっと来る。

僕は誰もが自らの人生の主人公であると考えている。誰もが自分の人生を生きているのだから、主人公以外にはなり得ないのだ。

それなのに、多くの人は自分が主人公だと信じきれず、まるでモブであるかのように生きてしまう。人間は社会性を持つ動物なので、そういう習性があるのも仕方ないのかもしれない。しかしだ、何かを成し遂げたいと思ったらそれじゃ駄目なんだ。モブになりたがる習性を振り切り、自分が思う主人公らしい振る舞いをしないといけない。常に「主人公ならそうするか?」と問いただし、自らを主人公らしく変えていかないといけない。

そうやって自己改変を繰り返していくのが、僕の考える主人公なのだ。

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リーダーシップとは心理的コストを肩代わりすること

リーダーシップってなんやねん

「リーダーシップ」という言葉を聞いたことがあるはずだ。そして言葉の意味だってなんとなく知っているだろう。

しかし「詳しい意味を正確に教えて」と言われたら困ってしまう。そこまで考えてみると、いかにぼんやりとした概念であるかがわかる。

リーダーシップはありまぁす!

じゃあリーダーシップなど存在しないのだろうか。そんなはずはない。今まで生きてきてリーダーシップらしきものを感じた瞬間は何度もあった。

小規模な集団でリーダーを決める際に、大多数が「まぁこの人だよね」と思い、すんなり決まったことだって何度もあっただろう。その人がリーダーシップを持っていると、確かに感じていたのだ。

取っ手付けちゃうぞ

リーダーシップなるものが存在するならば、そりゃあ是非とも使いこなして自在に発揮してみたい。まるで傘を差すかのように、「お、この状況なら出しちゃうか、リーダーシップ」という気軽さで発揮したい。

しかしリーダーシップという概念はあまりに漠然としており、そんな気軽さとは相性が悪すぎる。気軽さを実現するには、イメージする行動の具体性が高くないといけない。そこで必要になってくるのが、前も記事にした「取っ手を付ける作業」だ。

web-ken.hatenablog.com

漠然とした概念に取っ手を付け、自分の手で扱える道具に変えるのだ。

いでよ脳内教室

リーダーシップという概念の抽象度を計るために、脳内教室を用意しよう。そこに脳内中学生か脳内高校生を30人くらい放り込む。その教室で生徒へ指示を与える脳内教師のセリフに、抽象度を確かめたい物事をはめ込む。

「はい、リーダーシップ発揮して!」

さて、生徒たちは迷いなく動けるだろうか。流石に無理だろう。教室には聡明な生徒も何人かいるだろうが、これでは彼らですら動けない。

理想は聡明でない生徒ですら迷いなく行動できるくらい、「リーダーシップを発揮して」を具体的にできることだ。ただし、これはかなり難しいだろう。とりあえずは、聡明な生徒が動くことができそうなくらいのレベルで考えたい。

リーダーシップの生え際

リーダーシップという謎の存在は、いったいどんな瞬間に感じられるのだろうか。それを自分の経験を振り返り、探ってみた。

いろいろ探ってみた結果、リーダーシップは自分が感じた心理的コストを他者が肩代わりしてくれた瞬間に少しだけ感じられるという結論に至った。そしてその少しだけのリーダーシップ——便宜上「マイクロリーダーシップ」と呼ぼう——が蓄積されほど、リーダーシップが発揮されていると感じる。だからリーダーシップを発揮するには、誰かが感じているであろう心理的コストを何回か肩代わりしてあげればいい。

心理的コストってなんやねん

便宜上「心理的コスト」なんていう言葉をなんとなく使っているだけで、特に専門的な用語として使っているわけではない。心理的なハードルだとか負担だとか、そういう感じに捉えてくれればOKだ。

ただし、心理的コストなら何でもいいというわけではない。個人および集団が必要性を感じた行動に対する心理的コストだ。必要性が感じられていないと意味がない。「場が要求する心理的コスト」として考えるといいかもしれない。

他のコストじゃ駄目

場が要求する心理的コストを肩代わりすることでマイクロリーダーシップを生み出せるのだが、場の人間が心理的コストを肩代わりしてもらったと感じないといけない。金銭や時間、労力などのコストを肩代わりしてもらったと感じられてしまったら、むしろ逆効果だ。

だからマイクロリーダーシップを生み出す取る行動というのは、心理的コスト以外のコストが問題にならない、もしくは認識されていないものでないといけない。その行動のコスト=心理的コストと感じられるようなものが良い。決して雑用係になってはならない。

脳内教室再び

リーダーシップにとりあえずの取っ手が付いたので、脳内教室で脳内教師に言わせてみる。

「はい、場が要求する心理的コストを肩代わりして!」

このままではちょっと持ちにくい取っ手だ。癖の強い取っ手というべきか上級者向けの取っ手というべきかわからないが、かなり聡明な生徒じゃないとその指示で具体的な行動に移すのは難しいのは確かだ。

ただ、「はい、リーダーシップを発揮して!」よりはましだ。場に何らかの問題が生じており、その解決のために心理的コストを支払う必要性が明確なら、そこそこ取るべき行動が見えてくる。

指示を理解した聡明な生徒なら教室に生じた問題を察し、きっとこんなことを言うだろう。

「もう少し具体的にお願いします」

シチュエーションごとのマイクロリーダーシップ

理想はもっと持ちやすい取っ手を見つけることだが、なかなか難しい。だからシチュエーションごとの取っ手の使い方を予め考えておく。あくまでシチュエーションごとになってしまうが、そうすることでリーダーシップを簡単に発揮する方法がわかるはずだ。

ランチ

何人かでランチを食べに行くことが決まった。近所の飲食店は洋食と中華の2件。どちらでも全く問題はないが、どちらに行くかはまだ決まっていない。

このとき、どちらかの店に行こうと提案する行為に必要性が生じている。それは大した労力ではないはずなのに、その実行には心理的コストが生じてしまっていることが多い。

そこで場が要求する心理的コストを肩代わりして、理由とともに「◯◯に行こう」と提案してみる。そのまま決まるかは問題ではない。理由を述べたことで、連鎖的に他の人も何か違う理由を述べたり、より決定的な要素を発見するかもしれない。しかしそれらの行為にマイクロリーダーシップは生じない。心理的コストを肩代わりした瞬間においてのみ、マイクロリーダーシップが生じるのだ。

おそらく提案がどういう形でも、マイクロリーダーシップが生じると思われる。「◯◯に行きたい」と希望を言うだけでもいいだろう。場が求めているのは方向性を示すことだからだ。

逆にマイクロリーダーシップの発生から最も遠いのが、発言せず決まるまで待つことだ。これは心理的コストの全面的おっ被せ行為である。

よくやっていることだが、「ランチなに食べる?」などという質問を投げかけるのも場合によってはマイクロリーダーシップから遠そうだ。対話を促す行為ではあるので、普通の場面なら問題ないだろうし、むしろマイクロリーダーシップを生み出せる場合もあるだろう。しかし対話を促す行為がさほど求められていない場合、たとえば既に対話が始まっているところに後から自分が参加した場合になどには、既にいた人達に心理的コストをおっ被せる行為である。対話を促して決断を円滑に進めて集団の利益を得ようとしているのに、人に「マイクロリーダーシップがない」と感じさせて個人の不利益になりかねない。こういうことは集団の決断を急ぐためにためについやりがちだ。場合によっては集団の利益を思って無駄に自己犠牲を払ってしまう「カミカゼ行為」だと思っていいかもしれない。

聴衆の一員

講義でも何らかの発表でもいい、とにかく多数の聴衆がいる環境で、聴衆が質問する機会があったとする。説明不足な点、もしくは間違いが明らかに存在し、多くの聴衆が疑問を抱いている。

このとき、聴衆の誰かが質問する必要性が場に生じており、その実行には聴衆の人数に比例した大きさの心理的コストも生じている。ここで一番最初に質問すると、マイクロリーダーシップを生じさせることができるだろう。

聴衆の一員である際にはこのパターンが一番マイクロリーダーシップを発揮する機会としては多そうだが、次に多そうなのは、空調の調節かもしれない。場の人間が暑いor寒いと感じているのを察した時に、空調の調整を頼むとマイクロリーダーシップを生じさせることができるだろう。

自己紹介

初対面の際にリーダーシップをバリバリ発揮しなきゃいけないとは思わないが、まるでリーダーシップのない行動はよくないだろう。

気楽に接することができるように、ある程度のリーダーシップなら楽に発揮できるようになっておきたい。

まず目が合った際に、場に挨拶をする必要性が生じる。先に挨拶をするのと後に挨拶をするのでは、同じ労力でも心理的コストが大きく違う。だから先に挨拶をすることで相手の感じた心理的コストを肩代わりしたことになり、マイクロリーダーシップを生じさせることができるだろう。

問題は次に何を言うかである。先にしっかり自己紹介するのが礼儀としては正しいように思える。しかしこの場、つまり相手の心理的コストを肩代わりすることにフォーカスすると、そうするべきではないように思える。

相手が誰かを知る必要性と、自分が誰かを伝える必要性の二つを比べてみると、おそらく後者のほうが重要である場合が多い。したがって自己紹介は極めて簡潔にしつつ、相手のことをしっかりと聞くことでよりマイクロリーダーシップを生じさせることができるはずだ。相手のことを知っているならば、自分が相手をどれくらい知っているかを提示することも重要だ。

さらに連絡先の交換も必要とされる場面も多いだろう。ビジネスの場であればタイミングが明確であるが、もっとカジュアルな場では曖昧だ。「連絡先を交換する流れ」は、誰かが作らないと生まれないことが多い。そこで先んじて連絡先交換を提案するとマイクロリーダーシップをより生じさせられるだろう。場の人数が多いほどタイミングが曖昧になりがちなので、より大きなマイクロリーダーシップになるかもしれない。

シチュエーション多すぎ

「場が要求する心理的コストを肩代わりする」という取っ手を使いこなしてリーダーシップを簡単に発揮するため、多種多様なシチュエーションを想定してみよう思ったが、いちいち考えていられない。

僕はその場その場で考えてみることにしたので、みなさんも頑張ってください。リーダーシップを発揮する簡単な方法……それはみなさんの心の中にあるのです!

良きリーダーとは

リーダーシップとリーダーは少し違う。リーダーシップは一種の性質であるが、リーダーは役割だ。

今回考えたリーダーシップの延長で考えると、リーダーとは決断の心理的コストを肩代わりする役割である。決断という行為においてリーダーシップを発揮することを担う役割とも言える。

決断というのは支払う身体的コスト自体はゼロに等しいが、支払わなければいけない心理的コストが最も大きい行為の一つだ。そして分業、つまり役割分担というのは、個々が行う作業の種類を少なくして全体の生産性を上げることである。だから何らかの作業で身体的コストを支払う役割と、決断で心理的コストを支払う役割に分かれるのはごく自然なことである。

そういう風に分化したものと捉えると、良きリーダーというのは、作業をする人間に心理的コストの大きい決断をなるべくさせない人間であるはずだ。もちろん個々が日々こなしていく決断を大きく制限するものではない。個々が「こうするのが正しい」とすんなり決断できるならば、そこに心理的コストはあまり生じていないからだ。世の中には「こうするのが正しい」なんていう明確なものがない中でも選択しなければならないことが多く、そういった場面ほど決断の心理的コストが大きい。「こうするのが正しい」とわかっていても決断に大きな心理的コストが必要になってしまうことだってある。それらの大きな心理的コストを優先的に肩代わりしてこそ良きリーダーだ。

良きリーダーの反対であれば、当然ながら悪しきリーダーだ。個々につらい決断を強いて問題を生じさせ、自分の労力を費やして問題を解決してしまう。戯画化してみると、いつも忙しそうにしていて部下に「自分で考えろ」と言う上司。なんだか日本企業にたくさんいそうである。たとえ本人の生産性が高くても、部下の生産性を皆無にして組織としての生産性を上げていないので、リーダーとしての能力は低いと言わざるを得ない。ただ役職がリーダーなだけで、リーダーとしての役割を担えていない。

たとえ本人の生産性が低くても、「こうやってみよう」という明確な方針を与え、あとは問題が生じても本人やその周辺に任せっきりの上司のほうが、部下の数だけ組織の生産性を引き上げているので良きリーダーと言える。

僕も一応Diver Down社のリーダーではあるので、リーダーとしての役割をよく考え、ついでにリーダーシップもひょいひょい発揮していきたい。

Diver Downの近況(2016年11月)

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普段はろくに当社Diver Downの情報を発信していないが、今回は珍しくDiver Downの近況報告でもしてみようと思う。

11月現在で進めていること

新しいサービスの開発

現在、キノコっぽい感じのチャットっぽいサービスの開発を進めている。

チャットのようなコミュニケーションサービスは世の中に腐るほどある。ニーズがあるし、考えるのも難しくないので当然だ。いわゆるレッドオーシャンだと思う人も多いかもしれない。

しかし競合が多いとはいえ、可能性の拡がりがとてつもなく大きいため、まだまだネタが狩りつくされているとは思えない。捉えようによってはブルーオーシャンである。サメがいっぱいいるけど豊かな海、みたいな。

だからチャットっぽいサービスで、既存のものとはちょっと違うものを作ってみようと思った。既に普及しているものを再発明する試みだ。

ちなみにけんすう氏もチャットの再発明を試みているようだ。

note.mu

現在開発中のチャットっぽいサービスは、β版として11月末までにひっそりとリリースするのを目標としている。粗い出来のまま急いで出して必要性に応じて改善していく予定なので、あくまでひっそりとしたリリースであり、まずは少人数に使ってもらって様子を見たい。

ただ、本当に11月末までにリリースできるかは不明。

新しいサービスの企画

上記のチャットっぽいサービスの他に、誰かに感想をもらうための新規サービスも開発予定だ。

Webというのは誰もが参加できるが、そのために多くの人が埋もれてしまい、存在感を失う。自分の制作物への感想をもらうにも、知名度がないかぎり、まず何らかのコネクションが必要になる。

でもそんなコネクションなんかなくたって感想をもらえるような世の中にしたいと思った。だからジャンルは特に限定せず、とにかく自分の制作物へのフィードバックをもらおうと行動すれば、いくらでももらえるWebサービスを考えた。

既に仕様はまとめてあり、開発待ちの段階にある。

アプリ☆メーカーの改善の企画

現在アプリ☆メーカー上の表示をちょっとだけ変えてみて、どういう効果が現れるかを観察している。

そして12月に行うアプリ☆メーカーの改善で何をやるか検討している。

12月にやること

アプリ☆メーカーの改善

まずは11月に考えたアプリ☆メーカーの小さな仕様変更を進めていく。より少ない労力でより良い結果をもたらすような仕様をいくつか実装したいと思っている。

ただ、仕様変更に割く時間はそこまで多く取らない予定だ。大半の時間を不具合解消などの内部の改善に使い、パフォーマンスの向上を目指す。

年末年始は在宅率が高くてネット人口が多いせいだと思われるが、アプリ☆メーカーの利用者が増える傾向にある。その時により良いパフォーマンスを実現することで、より良い結果を出したい。

チャットっぽいサービスの改善の企画

チャットっぽいサービスは11月末までにひっそりリリースできたとしても、まだ基本機能だけのβ版である。リリースしてからどういう使われ方をして、どういう必要性が生じているのを見定め、改善方法を模索していく。

ちょっとしたサービスの企画

感想をもらえるサービスの前に、短い期間で作れるサービスをリリースしたいと思っている。

どういうサービスにするかはまったくの未定だが、長くて1ヶ月程度で作れるサービスにする予定だ。

2017年にやること

なんかいろいろやっていきたい。

日本人に足りないのは努力じゃなくタンパク質

運動不足で木になった

僕は運動不足で体が重く硬くなるのが嫌いだ。しかし普通に生活をしているだけだと運動する機会をまったく得られないので、昔からジムに通っていた。

しかし引っ越すことになったので、それまで通っていたジムを退会した。引越し先から歩いて通えるところにはジムがなかったので、そのままジムに行かない日が半年以上続いた。

すると僕は完全に運動不足になってしまった。体が重くなり、肩や腕は木のように硬くなり、足は根を張り、土から養分を吸って生活するようになった。土うめぇ。(※感じ方には個人差があります)

これではいかんと思い、僕は休みの日に電車ですぐ行ける場所にあるジムに入ることにした。

ゴールドジム芸人デビュー

候補となるジムはいろいろあったので、

  • 筋トレのみ
  • 土日だけ

という条件で探した。プランとしては、土日祝日のみ通えるホリデー会員だ。

すると、なんとあのゴールドジムが一番安かった。マシンも一番充実していたので、ゴールドジムのホリデー会員になった。

トレーニング内容

やるのは基本に筋肥大トレーニングだ。少ない回数を高負荷で行う。

だいたいこんな感じ。

  • 胸筋鍛えるマシン12回×3セット
  • 広背筋鍛えるマシン12回×3セット
  • 肩鍛えるマシン12回×3セット
  • 腹筋鍛えるマシン12回×3セット
  • 背筋鍛えるマシン12回×3セット

それぞれウォーミングアップとして楽勝に上げられる負荷で12回1セットをやっている。

ウォーミングアップ以降の重さは、12回×3セットがギリギリこなせない程度の負荷だ。ちょうど3セット目の後半で潰れ、負荷を1段階下げてなんとか3セット目をやりきることができる程度に設定する。

大したトレーニング内容じゃないのでだいたい30分もあれば終わる。ジムが混んでいると待ち時間が生じてしまうが、それでも1時間もかからない。

これに加え週に1回テニスをしており、下半身への負荷が結構強いので、筋トレは上半身のみにしている。

トレーニング効果

やり始めはそれなりに効果が出たが、それ以降はまぁ週1のぬるい筋トレなのでぬるい効果しか出なかった。

さらに追い込む方法も検討した。潰れたら負荷を下げ、それで潰れたら負荷を下げ、というのを繰り返し、全く上がらなくなるドロップセット法というのも試した。めちゃくちゃ強烈に筋肉痛になり、かなり効いている実感はあったが、強靭な精神力が必要とされるので続かなかった。

強度を高くする方針だと、それに比例して要求される精神力も高くなってしまう。そこまでして筋トレをする気はなかったので、強度を高くするやり方に限界を感じた。

そこで方針を大きく変え、全く違う方向から攻めてみることにした。

そうだね、プロテインだね。

筋肉が付く速度がまるで違ってくるので、筋トレとプロテインはセットだ。タンパク質がないと筋肉は育たない。

筋トレの直後にプロテインを飲むといいとも言われているので、いつも筋トレ直後にプロテインを飲むようにしていた。

しかし近年の研究では、一般レベルの筋トレであるなら、いつ飲んでも大して変わらないらしいということを知った。筋肉はゆっくり大きくなっていくものなので、筋トレ直後かどうかとか当日かどうかなどはあまり重要でなく、継続してタンパク質を摂り続けていることが重要であった。

だから新しい方針では筋トレ直後にこだわってプロテインを飲むのをやめた。代わりにプロテイン代を惜しまず、1回につきタンパク質20g分のプロテインを、毎日朝晩に飲んでみることにした。普通の食事でもいつもより少しだけ肉をたくさん食べた。新しい方針とは、タンパク質大量投入作戦だ。

新しいトレーニング内容

タンパク質大量投入作戦に移行しても、週1回のトレーニング内容は以前とほぼ同じだ。

しかし、強度を大きく下げた。潰れるほどの負荷はやめた。軽くこなせるくらいにはしないが、なんとかこなせそうな程度の負荷にして、もし潰れそうになったらささっと負荷を1段階下げて確実にこなせるようなズルをする。決して追い込まない。12回×3セットが思ったよりずっと楽にこなせてしまっても、次の週に負荷を上げる。

重いものを動かす気力が湧いてこないような時は、適当にやってこなせる程度に負荷を落とし、つらくならない程度で徐々に負荷を上げる。

各セット間の休憩時間は1分程度。それより速くても遅くても気にしない。休憩で差が出る程のことはやっていないのだ。

タンパク質大量投入作戦の効果

なんと1,2ヶ月で体重が5kgくらい増えていた。ウエストは細くなっていて、おそらく体脂肪は減っているので、筋肉量の増加は5kg以上と思われる。なにこれ。筋トレはぬるくしたのに。

思ったより筋肉が付いてずんぐりしてきたので、プロテインは1日1回に減らした。胸板の厚さがゴリマッチョの片鱗を見せてきてしまったのだ。別にゴリマッチョになりたいとは思っていないので、増量よりも筋肉量の維持と体脂肪の減少が優先となった。

欧米か! 欧米人じゃないけど。いや、でもこれが欧米の本質か!

あまりの変化に驚いた。ハードにやったときの努力が馬鹿らしくなった。足りないのは努力じゃなく圧倒的にタンパク質だった。

まるで欧米人のような筋肉の付き方だったので、もしや欧米人との体格の差ってほとんどタンパク質摂取量が要因じゃないのか? とも思った。

そこで、タンパク質の摂取についていろいろ調べてみた。

摂るべきタンパク質の量

毎日摂取すべきタンパク質の量をかなり大雑把にまとめてみる。

  • 一般人なら体重1kgにつき1gくらい
  • 筋トレするなら体重1kgにつき2gくらい
  • 本気で体を作りたいなら体重1kgにつき2g以上を死守

ちなみにアメリカではトップアスリートなら体重1kgにつき4gを超える量を摂るべきなんて言われてたりもするらしい。

これを体重60kgで考えてみる。

  • 一般人なら60g
  • 筋トレするなら120g
  • 本気で体を作りたいなら120g以上
  • メリケンゴリマッチョは240g

食材で考えてみる

肉を100g食べればタンパク質100が摂取できるわけではない。タンパク質の摂取量は当然ながら食材のタンパク質含有量に左右される。

タンパク質含有率が高く、なおかつそれなりの量を摂取しやすい食材はやはり肉だ。その中でもよりタンパク質含有率が高いのは鶏ささみと牛肉だが、それでもタンパク質含有率は以下の表を参考にすると20%程度である。消化吸収の優れた人が100g食べたとしても、最高で20gしかタンパク質を摂取できない。

www.eiyoukeisan.com

先程のタンパク質摂取量のまとめを、牛ステーキで考えてみよう。

  • 一般人なら300g
  • 筋トレするなら600g
  • 本気で体を作りたいなら600g以上
  • メリケンゴリマッチョは12000g

メリケンゴリマッチョやばい。

これは1日の摂取量だから3回に分けてもいいとはいえ、600gだと3回に分けても1回200gだ。牛肉200gは結構しっかり食べた気になれるし、毎食その量だと楽じゃない。

もちろん、肉を他の食材に変えてもいい。しかし白米のタンパク質含有率は約2.5%だ。牛肉600gのうち100gを白米に変えると、1日肉500g白米800gになってしまう。達成難易度が上がりまくる。

鶏ささみに変えると少しだけ量が少なくて済むのだが、鶏ささみをたくさん食べるのは結構つらい。

一番現実的かつ効率のよい牛肉で考えてもこれなので、ごく普通の食事をしていたら、筋トレをする人が求められるタンパク質量は到底摂取できない。

平均的摂取量との比較

以下のページの表で日本人のタンパク質摂取量の平均を見ると、平均的な体重で平均的な食事をしていれば、だいたい体重1kgにつき1gに近いタンパク質を摂っていると考えていいだろう。

www.meiji.co.jp

ごく普通の生活をしているならば、タンパク質の面ではそれで問題ない。だが、筋トレをしている場合にはタンパク質が少なすぎる。普通の食事でまかなうなら毎食2人前にしないと必要なタンパク質を摂れない。そんなに食べるのは無理だ。カロリーも倍になってしまうので、脂肪も増えてしまう。

プロテイン飲みまくれ

普通の食事で必要なタンパク質まかなうのには無理があるので、プロテインが役に立つ。プロテインは水で飲めばカロリーが低めでありながら、1回15g~20gのタンパク質摂取できるようになっている。体重60kgならば、毎日の食事に加えて3回飲めば、体重1kgにつき2g前後のタンパク質を摂取できる。

とはいえ、毎日3回も必要だったとは。予想していたよりも多い。2回にしただけでも筋肉の付き方がガラリと変わったので、これは過剰かもしれないともおもった。しかしまだ伸び代は結構あったようで、プロテインを飲む回数をもう1回増やしていたらさらにもう一段回速いペースで筋肉を付いただろう。プロテインすごい。

筋トレの質が筋肉の付き方を大きく左右するようになるのは、おそらく体重1kgにつき2gを維持できるレベルになってからだと思われる。2gを超えなくてももちろん筋トレの質は常に筋肉の付き方に関わってくるだろうが、最大の要因ではなさそうだ。

ゴリマッチョを目指すのではなく、単に健康やスタイルのために筋トレをしている人は、今すぐハードな筋トレをやめるべきだ。怪我をしないフォームで、ぬるめの筋肥大トレーニングをやるのだ。ハードにやるのは毎日体重1kgにつき2gを目指してプロテインを摂取し続けてからだ。筋肉量に関しては、おそらくごく普通の人が求めるレベルまで簡単にたどり着く。

アメリカ人のタンパク質摂取量

ちなみにアメリカ人の成人男性の1日のタンパク質摂取量は100g前後である。なのでアメリカのごく普通の食事をしたら100gくらいタンパク質を摂取できると考えていいだろう。

先程の表だと、日本の成人男性はだいたい75~85gだ。だから日本のごく普通の食事をしたら75~85gくらいのタンパク質が摂取できると考えていいだろう。

アメリカは日本より平均体重が重いが、それを体重の差を考慮しても、アメリカ人のほうが日本人よりも多くのタンパク質を摂取しているのかもしれない。日本人とアメリカ人の体格に大きな差があるのは、もしかしたら人種的な体質の差より、タンパク質摂取量の差によるところが大きいのかもしれない。

努力するにはまだ早い

筋トレをしたり運動をする習慣を持つ日本人は多い。そして同時に、筋肉をもっと付けたいと思う人も多いだろう。

そんな時、ついトレーニング強度を上げることだけで筋肉を増やそうとしていないだろうか。だがちょっと待ってほしい。それはあまりに非効率で、馬鹿げた努力だ。

日本のごく普通の食事をしている場合、ちょっとくらい肉を多く食べたりプロテインを飲むくらいじゃ必要なタンパク質を摂れない。体重60kg前後の人なら毎日3回プロテインを飲めば、必要なタンパク質を楽に摂取でき、筋肉量を楽に増やせる。努力が重要になるのはそれができてからだ。

しかし日本に暮らしていると、なんだか努力を優先するほうがいいように思えてしまう。そういう空気なのだ。安易な因果関係を見つけ、苦労するから成長すると考えたくなる。

そんな空気に対して、僕は声を大にして言いたい。日本人に足りないのは努力じゃなくタンパク質だ。とにかくプロテインを毎日3回飲むのだ。たったこれだけのことができない人間に対し、努力が適切に報いてくれることはないだろう。

やっていき.fmを聴いていく

最近始まった"やっていき.fm" (正式名は"yatteiki.fm"? "やっていきエフエム"?)というPodcastを聴いてみた。

yatteiki.fm

r7kamura.hatenablog.com

主に"やっていき"について話しているPodcastだ。

"やっていき"とは具体的に何かというとちょっとよくわからなくて「"やっていき"ってなんだよw」という感じだが、「個人開発をやっていってそれ一本で食っていけるようになったら素敵なのでまぁやっていこうよ」みたいなニュアンスだと思う。正確ではないかもしれないが、こんな温度感で合っているのではなかろうか。

Podcastを聴いてみて、「そう、この温度感だよなぁ」と思った。僕はエンジニアではなく、プランナー/ディレクター的な役割だが、似たような温度感でなんかいろいろやっていっている。一応法人化しているけども、それは法的な区分が変わっただけであって、人数もやってることも個人開発の時から全く変わっていない。同じような温度感でやっている"やっていき手"と自称してもいいはずだ。

「勉強会に行ってビジネスを学んで起業してベンチャーキャピタルから資金調達してバリバリ働いて渋谷かどっかでキラキラ生きる!」みたいなのは違うのだ。小手先のビジネススキルなどどうでもいいのだ。制作物ありきで、作りたいものを作りたいのだ。キラキラなどという、外に発するなんやかんやはどうでもいいのだ。自分の人生を噛みしめるように楽しんで生きていきたいのだ。ついでにお金いっぱいあったら嬉しい。

しかしだ、そういう温度感での活動というのは制作物が大ヒットしない限り目立つものではない。ウザいくらいに外部と関わっていくようなものでもない。だからそういう温度感の人間というのは、技術的なものを拠り所にしない場合にはネット上で自然に集まって行くのが難しいように思える。集まるべき「ここだ!」という場所があればいいのだけど、今のところそういう場所を知らない。

自分でもそういう温度感で活動している人を集めたいなぁとずっと思っている。そしてある程度集まったらそういう人達のためのサービスも作りたいなぁと考えてはいる。しかし、あまり集められていないので特に進んではいない。

そういう状況であるから、ともかく動き出しているやっていき.fmみたいなものはとても好きだ。うまいこと個人開発者達の中心地になっていってもらいたい。いや、地下室と表現したほうが適切かもしれない。やっていき手の地下室だ。

というわけで、僕はやっていき.fmの聴いていき手としてやっていきたい。

ストレッチポールはいいぞ

週に1回ぬるい筋トレをする程度だが、半年くらい前からゴールドジムに通っている。先日、そこのストレッチエリアに「ストレッチポール」が置いてあるのを見つけた。

ストレッチポールとはこういうやつである。

端的に言えば、ただの棒だ。

しかしストレッチポールは名声を轟かせており、ただの棒と呼ぶには畏れ多い。僕も名前だけは知っていた。

そんなストレッチポール、いや、ストレッチポールさんが、ジムのストレッチエリアの片隅に置いてあったのだ。自由に使えるストレッチ用具の一つとして。

僕はいいチャンスだと思った。Amazonのページを見てもらえばわかる通り、ストレッチポール様の値段はだいたい1万円弱だ。失礼を承知で申し上げれば、一見するとただの太い棒であるにもかかわらず。

そのような気高い棒のお方が、ストレッチエリアの隅の道具箱に身を預け、所在なさげに佇んでいらっしゃったのだ。僕はつい手を伸ばした。

名前を出すのも畏れ多い例のあの棒のお方の使い方など、当然ながら知らなかった。ごく普通の家庭で生まれ育ったのだから、そのような特別な世界の嗜みなど身に付けているはずもなかった。

とりあえず体に対して横に置いてその上に背中を預け、上下に動いてみることにした。するとなんとも言えない気持ちよさが体を駆け巡り、やがて背骨がボキボキと鳴り始めた。

この気持を例えるならば……うどんだ。上下に動くと太い棒で体の奥が圧迫され、自分がどこか一定の方向へ進んでいくのを感じる。ああ、この圧力が自分をコシのあるうどんに変えていく。上下に動くほど、ただの小麦粉からうどんに変化しているんだということを実感する。

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名前を言ってはいけないあの棒によって、僕はすっかりうどんにされてしまった。これからうどんとしてどのようにして生きるべきか。そんな不安が頭をよぎる。

『変身』のグレゴール・ザムザはある朝、毒虫になってしまった。しかし朝だからまだ幸いだ。前日の夜と朝は意識が隔絶されている。人間だった自分と毒虫である自分の意識に連続性はないのだ。新しい自分の意識として始まった瞬間にはもう毒虫なのだ。こうも切り替わりがきっちりしていると、むしろ前日の夜まで人間であったかどうかにも懐疑的になるだろう。

ところが僕の場合は強い連続性をもって人間からうどんに変えられてしまった。もう既にうどんであるにもかかわらず、人間としての自意識が自分を縛ろうとする。

「うどん」

そう声に出してみても、自分がうどんだなんてしっくり来ない。しかし自分が何なのか考えれば、まぎれもなくうどんなのだ。本当は自分がうどんだということは理解しているのに、厄介な自意識がそれを認めさせてくれない。

まわりを見渡せば、うどんなどいなかった。ここはゴールドジムなのだから、当然だ。健康への意識がやや高い程度の普通の人間と、人間を超えつつあるマッチョしかいない。もし「この中にお医者様かうどん様はいらっしゃいますか?」と叫ぶCAが現れて手を挙げる者がいたとしても、それは医者だろう。ここはうどんのいる場所じゃない。

だからといってゴールドジムを去るわけにもいかない。僕は去りたくないのだ。

「人間」

僕は自らを強引に定義するかのようにつぶやく。

「人間」

繰り返しつぶやく。

しかし、それだけだ。

いっそ堂々と「僕は人間だ」などと嘯くことが出来たら楽だろう。もしくは「僕はうどんだ」と開き直ることが出来たら楽だろう。だが臆病な自尊心と尊大な羞恥心がそれをさせない。人間のつもりでいるくせに、「お前はうどんだ」と指摘されるのが怖くて人間だとはっきり言えない。うどんであることが明白であるくせに、うどんであることが恥ずかしくて自分がうどんだとはっきり言えない。意図が理解されない曖昧さで「人間」とつぶやくことしか出来ないのだ。

僕はそそくさとストレッチエリアを後にし、帰り支度をした。帰り際にプロテインバーでプロテインを注文する。

「まさかうどんが? プロテインを?」

誰もそんなことを言っていないのに、誰かがそう言っているのを想像してしまう。

誰かなんてどこにも存在しない。それは自らの鏡像だった。自分が今まで炭水化物に向けた残酷な視線が、自らに向けられただけなのだ。僕は自分の愚かしさに耐えうる強さを持ち合わせていなかったので、残酷な視線にただ傷つけられる。

しかしプロテインは裏切らなかった。ミルクに溶けたプロテインが喉を通る感触は、天から下る母性の手が自分の努力を認めて頭をなでてくれる感触と同じなのだ。これによって、その日の筋トレはゆるぎなく肯定される。

そうだ、自らをより良く変えようとする行動そのものは決して間違っていない。この一つの確信だけが僕を支えた。

帰宅すると、すぐにあの太い棒を求めた。と言っても、名前を言ってはいけないあの棒に手を出すことは出来なかった。臆病な自尊心と尊大な羞恥心のせいだ。僕は1600円ちょっとの類似品を買った。彼の名前は「エクササイズピラティスポール」という。

鉄人倶楽部(IRONMAN・CLUB) エクササイズ ピラティス ポール IMC-54

鉄人倶楽部(IRONMAN・CLUB) エクササイズ ピラティス ポール IMC-54

実際、名前を言ってはいけないあの棒と大きな差はなかった。質感と耐久性に違いはありそうだが、普通に使う分には全く問題ない。逃げてしまって選択したことなのに良い結果を得られたことが、僕にとっては何よりの救いとなった。

こうしてエクササイズピラティスポールで僕はよりうどんに近づいた。棒を上下に動かす度に、良きうどんとなっていく。もはや人間だったことなど忘れかけていた。

「うどん」

気付けばそうつぶやいていた。

これは自分を曖昧に偽った言葉じゃない。まさしく僕はうどんであり、うどんたる自らのうどんたる感触を味わうように発していた言葉だ。

すると外の草むらの向こうから、問いが投げかけられた。

「そのツイートは、我が友、李徴子ではないか?」

急な問いかけに驚きつつも、その声に聞き覚えがあった。旧友である袁傪(えんさん)の声だった。

以前の僕ならば、「いかにも」と答えただろう。自らの変化を受け入れられず、うどんでありながら「人間」とつぶやいていたのだ。それが偽りであっても、昔に思い描いていた姿で今の自分を定義したくなっていた。

しかし僕はより良いうどんになる過程で気が付いた。僕は確かにより良い人間になろうとしていた。だがそれは「より良くなりたい」と願っていたからであり、人間だとかうどんだとかは関係がなかった。人間だったからより良い人間になろうと願った。うどんになってしまったら、より良いうどんになることが本当の願いだ。

袁傪の問いに「違う、僕はうどんだ」と言うことも出来るが、そんなことをする必要はない。自分が人間だとかうどんだとかはどうでもいい。僕はただ、自らがより良くなっていくことを実感して生きることを願う存在なのだ。

だから答えなんていらない。何回か咆哮して、こうつぶやいてみせるだけなんだ。

10秒で出来る速読法を教えるぜ!

活字中毒

僕は小さい頃、よく本を読んだ。

子供なのでゲームの類も好きではあったが、1人でやるゲームにのめり込むことは出来なかった。1人の時間の大半は、本とともに過ごした。

するとごく自然に、いつも何かしらの活字を目にしていないと落ち着かいない性分になっていった。

速読の発見

中学生くらいだっただろうか、本を読んでいる時、自分が大きく分けて2種類の読み方をしていることに気付いた。

1つ目は普通の読み方だが、2つ目は読むスピートがとても速い。いわゆる速読の一種だった。

速読の種類

速読の一種と言っても、そもそも速読という言葉自体が曖昧だ。とりあえず大まかに分けるとしたら、この3つであると思う。

  1. 本のページを何度かパラパラめくって内容を把握したり、ページをパッと見ただけで文章全体を理解するやつ
  2. 国語のテストのように急いで読むやつ
  3. 内容の理解度を保ちつつ、通常よりも大幅に速いスピードで読むやつ

速読と聞けば1のやつを想像する人もいるかもしれない。しかしこれはもはや曲芸であり、特殊な訓練が必要である。僕も出来やしない。

2のやつはただ頑張ってるだけである。だから2のやり方の速読をしたい人には、もっと頑張れとだけ言っておく。

僕がこれから説明するのは3である。

通常の読み方をしている時

自分が速読のようなものを使っていることに気づいたとはいえ、無意識でやっていたことなので、僕は意識的に使えなかった。だから通常の読み方と速読の違いを考えることにした。

通常の読み方も人それぞれであるだろうが、僕は黙読でも通常は目で文章を追うのと同時に、頭の中で音読している。したがって、その音読はかなり適当なものであるものの、文章を追うスピードの上限 = 音読のスピードの上限となっている。

速読している時

速読をしている時の自分の頭の中も観察しようと試みた。意識的に速読が出来たわけじゃないので簡単ではなかったが、繰り返すうちになんとなく把握出来た。

速読をしている時、頭の中で全く音読をしていなかった。目で見た文字列を、いちいち音読せずに理解していた。

それにより、文章を追うスピードの上限 = 理解のスピードの上限となっていた。音読のスピードの上限よりも理解のスピードの上限のほうが高かったので、より速く読むことが可能になっていたのだ。

頭の中の言葉を消せるか

頭の中で全く音読しなければ速読出来る。簡単な答えである。

しかしその答えを実現するのは楽じゃない。なぜなら頭の中から言葉を消すというのが難しいからだ。その作業だけに注目すれば、瞑想に近い。おまけに文字を目にしているのに、その文字が持つ音が思い浮かばなようにしないといけないのだ。

通常の読み方と速読の違いがわかったところで、すぐ実践出来るわけではなかった。

別の角度から攻める

速読を意識的に使うことを僕は諦めたくなかった。しかし、速読しようとする際、即座に瞑想状態を実現して文章を読み始めるなんていうのも現実的ではなかった。

そこで思いついた。意味を持たない別の言葉で埋めてしまえばいいのだ。人間は2つ同時に音読は出来ない。文章と関連のない音読をしていれば、文章を音読するスピードに縛られずに読めるのだ。

魔法の言葉探し

別の角度から攻めると、今度は別の問題が生じた。意味を持たない言葉を延々と唱え続けるというのが難しいのだ。

その行為だけなら出来なくもない。だが、頭を使ってひねり出してしまってはいけないのだ。無駄に頭を使ってしまうと、文章の理解力が落ちてしまい、速読しているのに遅いという本末転倒な状態になってしまう。

だから頭を使わずに延々と音読し続けられる言葉でないといけないのだが、頭の中で「あああああ……」と唱えたりしても駄目だった。単純すぎるため、目で追っている文章の音が、次第に「あああああ……」の背後にうっすらと浮かび上がってくるのだ。浮かび上がってしまったらもう駄目だ。もう速読状態ではない。

僕は速読に適した魔法の言葉をさらに探すことにした。

10秒で出来た

いろいろ模索してたどり着いた魔法の言葉は、「10秒」だった。1から10を数える。それだけだ。

文章を読んでいる間は延々と音読しないといけないので、10まで数え終わったらまた1に戻る。

そしてポイントなのは「10秒」ということだ。つまり、1,2,3...と1秒ずつカウントアップしていく。馴染みのあるリズムに依存した生成方法であるため、頭をほとんど使わずに済む。使っているとしても、文章の理解とは全く違う部分を使っているので、文章の理解をさほど邪魔しないのである。それでいて単純すぎないので、背後から文章の音が浮かび上がりにくい。

頭の中で「10秒」を数え続けることで、僕は意識的に自分を強制的に速読モードに変えることが出来るようになった。そのまま集中でき、数えるのをやめても速読が続く場合もあるし、そうでない場合は延々と数え続ける。

10秒速読法まとめ

速読をしたいけど意識的に速読することが出来ないという人は、一度この速読法を試してみてほしい。僕と同じように「10秒」を使って速読が出来るようになる人もいるかもしれないのでまとめておく。

  • 頭の中で10秒を繰り返し数える
  • 読みたい文章を目で追う

まとめると言ってもやりかたはこんなもんである。

コツとしてはこんな感じ。

  • 頭の中だけど、なるべく大きな声でハキハキと10秒を数える
  • 単語の音を連想しないように我慢する
  • 余計なことを考えず先へ先へと進む

感覚が掴めない場合は、無理にスピードを上げようとしないで、まずは1秒ごとに1行をリズムよく追っていくようにするといいかもしれない。

まぁ感覚的なことであるので、このあたりは人それぞれかもしれない。しっくりこなかったら各自で試行錯誤してもらいたい。

速読は万能じゃない

この速読法は文章の内容を理解することは出来るが、情緒や語感、リズムといった情報が全然受け取れなくなる。だから小説で使えばストーリーを追うだけになってしまって面白くなくなる。

また、普通に読んでも簡単に理解できないような文章は、当然ながら速読でも理解できない。

悪文に関しても同様だ。普通に読んで躓いてしまうような文章だと、速読でも躓いてしまうか、誤読する。

そう、すべては筋肉

速読において、そもそも重要な点がある。それは目の筋力である。

速く読むということは、速く目を動かすということだ。だから目の筋肉が速読に対応していないと、そもそも速読などできない。

まずはタンパク質をしっかりと摂取し、速読に耐えうる筋肉を備えた人間になろう。

取っ手を付ける作業

前回「取っ手を付ける作業」という記事を書いた。今回の記事を書いている時は考えていなかったけれど、今回は速読に取っ手を付けた記事と言えるかもしれない。

隙あらば取っ手を付ける人間でありたい。

きっかけ

この速読法は昔から自分でやってたやり方で、大人になってから見つけたものではない。だから新鮮味が全くなくて、ブログネタの候補にすらなることはなかった。

しかし「内なる声」の話題をTwitter等で目にし、このテーマに関する他人の感じ方を知るのが面白かった。

そうして自分自身に目を向けてみると、自分がどう感じているのかをはっきりさせたくなった。自分の速読法についてちゃんと文章にまとめてみようかなと思った。

そう、すべては筋肉

こんな風に他人のきっかけによって自分自身のことがより明確になり、そして引き出されていくということがある。それは自分自身を形作る上で貴重な経験なので、そういうチャンスを目ざとく見つけていきたい。

しかしそれには充分な余裕が必要である。余裕とは体力である。体力は健全な肉体によって生み出されるものであり、やはり必要なのは筋肉。

タンパク質を摂ろう。

取っ手を付ける作業

僕はある武器を持っている。それはちょっとした工夫の一つで、「何かをすべきだ」と感じた時にはいつも頼りにしている。

いい加減な先生

たとえば学校で新入生に先生が「はい、隣の人とペアになって自己紹介して」と言ったとする。そしたらそこそこ普通に自己紹介が始まり、多少は親睦が深まるだろう。

だが先生が「はい、親睦を深めて」とだけ言ったとしたらどうだろうか。多くの生徒が自然にコミュニケーションを取って親睦を深めていくとは思えない。

もしくは「ほら、コミュニケーション能力を発揮しなよ」といういい加減な指示だけ与えたらどうだろうか。多くの生徒はどうすべきかわからないはずだ。迷いなく行動できる生徒なんてかなり少数だろう。

これは極端な例だが、これに近いことは世の中に溢れている。「リーダーシップを発揮すべきだ」なんて言葉を耳にする機会は幾度となくあるが、それは「ほら、コミュニケーションを能力を発揮しなよ」としか言わないいい加減な先生と同じようなレベルである。社会生活において重要な役割を担うならば、「リーダーシップを発揮すべきだ」なんてことはわかりきっている。そんなもの出来たらやっている。

何らかのコンテンツを作る人間ならば、「面白くしなきゃ」なんて考えも常に頭にあるだろう。しかし、それだけではいい加減な先生と同じレベルだ。

具体性の欠如

「ほら、コミュニケーションを能力を発揮しなよ」

「リーダーシップを発揮すべきだ」

「面白くしなきゃ」

これらに足りないのは、具体性である。もっと言えば、具体的な行動をイメージ出来ないことが問題だ。人は自分が行動する具体像を抱けないと、しっかりと行動に移せないのだ。

だからいい加減な先生は生徒に対し「ほら、コミュニケーションを能力を発揮しなよ」と思ったとしても、まずはそれをもっと具体的にしていく必要がある。「はい、隣の人とペアになって自己紹介して」くらいになれば具体的な行動をイメージできるので問題ないだろう。

取っ手を付ける作業

このように、抽象的な概念を実現するため、より具体的なものに落とし込んでいく作業を僕は「取っ手を付ける作業」と呼んでいる。「親睦を深める」とか「コミュニケーション能力を発揮する」なんていうのは、そのままだとツルツル滑って手に持つことが出来ない。手に持てないということは使いこなせないということだ。だから具体性という取っ手を付け、その概念を使えるようにするのだ。

「取っ手が付く」状態を具体的にイメージしやすい例を挙げよう。「立食パーティーでいろんな人と知り合う」ということを実現したいと思ったとする。とりあえず脳内教室で先生にそれを言わせてみよう。そうすることで、どれくらいの具体性を持っているかがすぐにわかる。

「はい、立食パーティーいろんな人と知り合って」

無茶言うなよ。なんだよその指示。これは明らかにいい加減な先生である。

このままじゃ使えない。あまりにも取っ手がなさすぎてツルッツルだし、これはなかなか重いのでしっかりとした取っ手が必要そうである。そういう場合は「はい、◯◯して」フォーマットに当てはめても自然なくらい具体的な行動を考える必要がある。

で、まぁいろいろと考えていくわけだが、ここでは割愛してよく知られた取っ手を付けることにする。それを先生に言わせてみる。

「はい、二人組を見つけて話しかけて」

無茶だろうか? 意味不明だろうか? これはやろうと思えばすぐ実行できることだし、指示として自然である。まともな先生になった。

これが取っ手が付いたということである。「立食パーティーでいろんな人と知り合う」という、どうしたらいいかわからない物事に「二人組を見つけて話しかける」というつかみやすい取っ手が付いたのだ。この取っ手を知っていれば、今後「立食パーティーでいろんな人と知り合う」を行使出来るようになる。

なんで二人組を見つけて話しかければ「立食パーティーでいろんな人と知り合う」が実現出来るかというと……(割愛)

知りたければ各自で検索してほしい。

普通の人間の特別な武器

こういった「具体性を持たせる」だなんてそんな当たり前の思考過程にわざわざ名前付けるのは大袈裟だと思う人もいるかもしれない。確かに当たり前にやるべきことだし、大袈裟だ。だがごく普通の人間においては、ここまで大袈裟にやらないとこんな当たり前のことすら出来ない。

「リーダーシップを発揮する」には何をすればいいのか?

「面白くする」って何をすればいいのか?

もしこれらの問いに対し「◯◯する」といった具体的な行動を即座に答えられるような人がいるならば、それは特別な人間だ。考えれば誰しもその人なりの答えは一応出るはずだが、普通の人は答えられない。

なぜか。

それはちゃんと考えたことが一度もないからだ。ただそれだけだ。答えが出るまで考えたことがあれば、合っているか間違っているかはともかく、答えることは出来る。でも「答えられない」が普通なのだ。僕もそうだったし、未だに多くの問題についてきちんと答えられない。

だけど僕は特別なことをやりたいんだ。だからごく当たり前のことに「取っ手を付ける作業」だなんて大袈裟な名前を付けて工夫する。

「具体性を持たせること」をもっとイメージしやすい表現にすること自体が「取っ手を付ける作業」であり、それによって以前より思考の質が上がった。何かをすべきだと思った時も、その考えに取っ手が付いているかどうかを意識することで、直感的に具体性が把握できる。「取っ手を付ける作業」という取っ手は僕にとっての特別な武器だ。

そう、すべては筋肉

このブログでは僕が考えてみたいろんな取っ手を紹介していけたらなぁと思っている。「リーダーシップ」の取っ手や、「面白さ」の取っ手など。その取っ手を使って自分以外の誰かが何を出来るのかなんていうのも気になる。

こういうアイディアは共有しない人もいるかもしれないが、僕はどんどんばら撒きたい。アウトプットするために練り直すことで、さらに質が高まるからだ。

おまけに思考する機会が増えることで、新たに何かを考えるときの力も強くなる。思考力は筋力と同じようなものである。一度持ち上げたバーベルを大事にしまっておいたところで、筋力は増えない。繰り返すことで次が生まれる。

特別なこと

まぁ実際のところ、この「取っ手を付ける作業」という取っ手があったところで劇的な効果があるわけではない。ごく普通の人より少しだけ早く、あるいは少しだけ具体的に、物事を考えられるようになる程度だ。強烈なパワーで思考して突き進んでいく特別な人間のようにはなれない。しかしその「少しだけ」を繰り返すことで、普通でない、何か特別なことが出来ると信じている。

Webプランナーってどこに生息してるの?

これまで同業者とそれほど交流もなく過ごしていた。だから山奥で淡々と壺を作り続ける陶芸家みたいな感じだった。

だがDiver Down設立を期に、いろいろと交流を持ってみようと思うようになった。自分が熱中していることについて語れる仲間がいたら、きっと楽しいに決まってるからだ。

まずそのためには、ネット上でWebプランナーが集まるコミュニティのようなものに参加してみようかなと思った。しかし、ざっと調べてみた感じだと「ここだ」という場所がない。ネットビジネスについての小技を話すだけの胡散臭いセミナーのようなものばかり見つかる。

違う、そうじゃないんだ。

ビジネスについて語りたいんじゃない、面白いWebサービスについて語りたいんだ!

そう声高に叫びたい。もちろん、エンジニアのようにテーマごとに勉強会を開いたりするのが難しいのも理解している。そもそもの仕事の内容が漠然としているという問題がある。しかしそれにしたってWebプランナー同士がネットで繋がるの難しすぎないか。

Webプランナーってどこに生息してるの?

どこかのSlackチームでこっそり集まったりしてるの?

そう思って調べてみたら、Webプランナー同士でSlackに集まろうと画策している人がいた。

発案者のnyさんはSeekGeeksという、企画する人とプログラミングする人をマッチングするサービスを運営している人だ。

昨日このSlackチームに参加してみた。まだ参加者は少ないものの、結構楽しい。面白いWebサービスを作っている、もしくは作りたいと日夜考えている人がいたら、是非参加して欲しい。Slackを使ったことがない人でも大丈夫。参加者が増えれば、きっともっと楽しくなる。

このSlackチームだけでなく、他にもこういう場所を見つけ出したい。どこかいい場所を知っている人がいれば是非教えてほしい。

こういった交流は始めてなのでまだ勝手がわからないが、なんとなく交流のツボが見えてきたら、自分でいい感じの交流の場を作り出したいなぁと思っている。

法人化しました

これまで「ウェブサービス研究会」という、何と定義すればいいのかわからない集団として活動を進めてきましたが、このたび法人化し、「Diver Down LLC.」になりました。

法人化に際し、99designsというサイトでロゴを募集したところ、素晴らしいロゴを手に入れることが出来ました。

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素晴らしすぎてすぐにグッズも作りましたよ、ええ。

Diver Down公式ショップ

そして現在、デザインをロゴに合わせた公式サイトを制作中です。細かい部分はまだ制作中ですが、基本的な部分は出来上がっております。

Diver Down LLC.公式サイト

ウェブサービス研究会」が運営していたサービスも「Diver Down LLC.」に引き継がれます。

今後ともよろしくお願いします。

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【Unity】本物の素人が独学で2ヶ月かけてクソゲーを作ってみた結果

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 これが結果だ!

 とりあえずPC向けブラウザゲームとしてGoogle Driveにアップしといた。

(現在はGoogle Driveのウェブ公開機能が廃止されたので、Unityroomに投稿)

 

 

 スーパーカラバッジョワールド | ゲーム投稿サイト unityroom - Unityのゲームをアップロードして公開しよう

 

 クソゲーではあるが、やれば何かしらできるものだなぁと感慨深い

 というわけで過程は↓

 

 我こそが本物である!

「ゲーム制作素人が1週間程度で云々〜」という記事をたまに見かける。

 しかしだ、彼らの多くはプログラミング等の何らかの土台があった上で挑戦している。素人といっても「素人(自称)」なので、習得速度についてはあまり信用できない。中には本当に素人と言える人もいるが、自力でちゃんとゲームとしての体をなすものを作るには、やはりそれなりに時間がかかっているようである。

 僕自身はということ、ウェブサービスを作って世に送り出している活動をしているものの、プログラマーではないし、プログラミングは出来ない。だからツールの使い方とプログラムが書いてあるページを読んだって、何も出来やしなかった。これまでの経験でゲーム制作に直接使えるものも、これといってなかった。

 それだけではない。ゲームに使うための音楽や効果音を作るスキルもないし、グラフィックを作るスキルもない。

 せいぜい、ちょっとネットが使える程度。

 要するにそこらへんのネット好きと大して変わらない、まぎれもない素人である。

 

本当にやりたいと思ったら既にやっているッ!

 ここしばらくは主にアプリ☆メーカーの改良をしているのだけど、仕様の面は結構前からほぼ出来上がっていた。

 するとプログラマーでない僕は特にすることがなくなった。

 なので次に作るサービスの仕様策定も進めたが、それも終わってしまった。

 そういうタイミングで、急にゲームを作りたくなった。

 今までもぼんやりとやりたいなぁと思っていたけど、それは所詮行動に移さない「やりたい」であった。やるつもりなんかなかった。その「やりたい」は、「自分には出来ない」という諦めの感情が生んだ虚像にすぎなかったのだ。

 しかし近年のゲーム制作ツールに関する素晴らしい記事を何度も目にしていたら、気づいたのである。「自分には出来ない」なんていう事実は存在しないのかもしれない、と。

 そうしてゲーム制作について調べたら、改めてゲームを作ろうという気持ちが生じてきた。それは「宝くじが当たったらなぁ」という夢想の類なんかではなく、メモを取ろうとして目の前のペンを取ろうとするような、ごくあたりまえのことを実現する気持ちだった。
 

で、どうやって作ればいいんだよ!

 近年の優秀なツールでゲーム制作をするといっても、ゲーム制作ツールはいろいろある。その中でも、主に検討したのはこの4つである。

 

 

 僕はUnityを選んだ。理由は以下だ。

 

  • 普段使っているMacでがっつり使える
  • もともと3D向けだけど2Dもがっつり作れる
  • アセットストアという、ゲームに使う素材を無料or有料で手に入れられるすごいものがある
  • 使用者が多いのでググれば日本語で書かれた情報が豊富に出てくる(これ大事)
  • プログラミング部分で、素敵な言語と噂されるC#を使える(プログラミング出来ないのでピンと来ないが、高度なものを作る時に重要になりそう)
  • よくわかんないけど、なんかいろいろすごい(モチベーション維持のためにロマンは大事)

 

 とりあえずスマホ向け2Dゲームが作りたいので2D特化のGameMakerも考えたけど、

 

  • 主にWindows用(Mac用もあるにはあるけど微妙?)
  • 日本語の情報が少ない
  • ちゃんとしたものを作ろうとするとGameMakerの独自言語でプログラミングすることになるが、その言語の評判がすこぶる悪い(これもピンと来ないが、ボロクソ言われているものを学ぶのはやだなぁと思った)

 

 本格的なものを作るにはUnreal Engineがいいらしいが、ガチなグラフィックの3Dゲーム向けっぽいのでパス。本格的すぎる。日常に寄り添うような2Dスマホゲームがいい。

 スマホゲームは結構な割合でUnityとCocos2d-xが使われているらしいのでCocos2d-xも検討したが、基本的にバリバリとコードを書いていくためものであり、プログラミング未経験者お断りのツールだった。さすがにキツイ。

 というわけでUnity、君に決めた!

 

Unityすごい……でも何も出来ねぇ!

  Unityにはプロ版と無料版があるのだが、ゲーム制作に必要な機能においては無料版もプロ版もほぼ変わらない。しかも無料版には制限があるものの、普通の個人にとっては全く気にしなくていいくらい緩い制限だ。だから無料でガッツリ使えるツールと考えていい。

 そうしてUnityを導入してみたが、困った。何をどうしたらいいのか全くわからないのである。

 検索をしてみても、完全な素人にとってはわからないことがありすぎてまったく理解出来ないページばかりだった。

 そこで通称「ひよこ本」と呼ばれている、評判の良いこの本を買ってみた。

   

Unity5入門 最新開発環境による簡単3D&2Dゲーム制作

Unity5入門 最新開発環境による簡単3D&2Dゲーム制作

 

 

 チュートリアルを丁寧な解説とともに進めていく内容で、とてもわかりやすかった。

 ゲームに使う素材はこの本が用意したものを使うので、それら組み立てていくような感じだ。

 そうして以下のものを作っていった。

 

 

 

 

 

 

 Unityというツールの大まかな考え方や使い方をサクサクと学べたのでよかった。

 

ツールは使えるが、ゲームを作れない!

 Unityの大まかな使い方は把握したので、Unity公式のチュートリアルをやってみることにした。

 

 

 簡単だった。ひよこ本で基本を理解した僕にとっては簡単すぎるくらい簡単だった。

 しかしだ、スクリプトを書くところに至ると、途端に難しくなった。大したことをやっていないはずなのに。

 

 

 とりあえず完成させることはできた。

 それによって課題も明確になった。

 ゲームの部品を組み立てることはできるが、それらを動かすためのスクリプトを書く力が不足しているのだ。

  だからUnityというツールの使い方がわかっていても、まだ実際に自力でゲームを作ることはできない。

 意外と道は険しかった…… 

 

スクリプトって何だよ! 

  そもそもプログラミング経験がないのである。「スクリプトが云々」と書いてあっても、「スクリプト」自体よくわかっていなかった。

 プログラミングにおいて何らかの処理を記述して実行されるまでにはいろんな過程があるが、そういった過程でなく処理に関わる部分のみを指して「スクリプト」と呼んでいる……のかな?

 Unityでは処理を実行するまでの過程はUnity内部で上手いことやってくれて、ゲームをどういう風に動かすかという部分でしかコードを書かないので、基本的に「プログラムを書く」というより「スクリプトを書く」と表現されている……のかな?

 まぁ実際のところ今もよくわかっていないが、だいたいこんな感じで考えている。

 そんなレベルなので、チュートリアルスクリプトの解説を読んでその時は理解していても、知識として身につかなかった。

 僕はスクリプトを簡単なものなら自分で書けるくらいになろうと思った。

 Unityで使う言語はC#が基本らしいので、C#を軽く学ぶことにした。そうして適当に検索してC#をちょろっと把握してみようと思ったが、なんとびっくり、何がなんだか全然把握できない。ちょっとしたTipsを10も20も覚えればだんだん頭の中で体系化されてくるような気がしていたが、それより遥かにレベルが高かった。これは書籍かなんかで順を追って学んでいかないと駄目だ、と思った。

 そこで現時点の最新版であるUnity5に対応したC#解説本を探した。しかもとびきり初心者向けのやつだ。

 するとずばりニーズに合ってそうな内容の本はこれくらいしかなかったので、これを買ってやってみることにした。

  

見てわかるUnity5 C#超入門 (Game Developer Books)
 

 

  特別わかりやすいとは思わなかったが、超入門というだけあって初歩的なことを順を追って説明してくれているので良かった。

 書いてあることをなぞりつつも、ちょっとずつ勝手なことをやってみたりして成長していった。

 









 大したことは出来ないものの、ごく簡単なスクリプトしか書かなくていいならば調べながら実現できるようになっていった。

 

成長という快楽、あるいは逃避へのガソリン

 体系的な知識を詳細に学んでいくより、最初にざっと概要を学び、あとはチュートリアルをやりながら詳細を覚えていくほうが、成長スピードが早いように思える。おまけに成果物がどんどん出来上がっていくので成長を実感しやすく、モチベーションの維持もしやすい。あらゆる分野で有効な学習法だと思う。

 しかしずっとチュートリアルを続けていても、何も生み出せない。最低限のことが出来るようになってからは、目的を達成するための実戦経験の量をしっかりと確保しなくてはならない。

 実戦経験に時間を割くことで知識の習得が遅れてしまっても問題はない。実戦のための知識であり、知識のための実戦ではないからだ。

 とはいえ知識を身につけて成長することは人間にとって大きな快楽だ。だからついつい理由を付けて学び続けたくなるが、目的があって学んでいるならば、その目的を忘れてはならない。目的を達成するための行動にこそ意味があるのであって、学ぶこと自体には「学ぶ」以上の意味は無いのだ。

 なのに達成が困難な目的であるほど、未達成である現実と向き合わず、成長に執着しがちだ。そうなると成長することの素晴らしさなど関係ない。ただ逃げているのである。たとえ未熟な状態でも、実戦で勝てる強さを身につけるチャンスがあるならば、それを目ざとく見つけて着実に掴んでいかねばならない。

 僕は、目の前に無数のチャンスが見えてきたように感じた。それまでは何も見えず、とりあえず学ぶしかなかった。

 一方でまだまだ素人の域を脱したとは言えない状態なので、もっと「ちゃんと」理解して「ちゃんと」作れるようになってからオリジナルを作り始めたいという気持ちも強かった。

 揺れる。

 しかしその「ちゃんと」を待っていて結果を出せないまま悔しい思いをした経験が何度もあった。「ちゃんと」なんていうものは、いくら待っていてもやってこないのだ。「ちゃんと」を待たない勇気を振り絞らないといけない。

 僕は自分で考えたゲームを作り始めることにした。

 今の実力じゃクソゲーしか作れないのは明白だが、そのクソゲーで立ち向かい、実戦経験を積んでやるのだ。

 

ゲーム制作の壁は一つじゃない! 

  Unityでいろいろ動かせるようになったとしても、ゲームというのは成り立たない。何かしらのグラフィックが必要である。

「さぁ作るぞ!」みたいな流れになっているわけだから、グラフィックのほうはそこそこクリアできるのだろう。

 と思うじゃん?

 そっちも完全な素人なんだよね実は。

 というわけでまずは安いペンタブを買ってみた。

 

 

 Macで使えて無料でシンプルなペイントソフト、「FireAlpaca」もインストールしてみた。

 


 で、描いてみた。

 


 ペンタブ使いづらっ! 思うように描けない! アナログと同じように描けても何も描けないけども!

 イラストは一朝一夕で身につくものではないというのも実感した。しかし、そこそこのレベルでいいなら、知識を得ることでなんとかなりそうな気もした。まぁ、膨大な量の知識になるが。

 今すぐに使えるスキルにならなくてもいいので、とりあえず基礎からちまちま学んでいくことにした。

 イラストの基礎と言えばデッサン。だぶん。

 ということでまず自分の手を真剣にデッサンしてみた。

 


 今まで絵を書く習慣がなかったのだが、その割には描けた。しかし相当キツかったので、スキルが足りない。

 かといって地道な練習をするには時間を取られすぎるので、上達のための方法を教えてくれる本を読むことにした。

 これ。

 

絵はすぐに上手くならない

絵はすぐに上手くならない

 

 

 この本にはクロッキーをしてみて自己診断をしてみるように書いてあったので、クロッキーもしてみた。さっきのデッサンとは違い、クロッキーは速書きなので直す余裕なくてこれはこれで大変。

 


 デッサンの本も買ってみた。

 

基礎から身につくはじめてのデッサン―形のとり方から質感まで鉛筆デッサンの基本がわかる

基礎から身につくはじめてのデッサン―形のとり方から質感まで鉛筆デッサンの基本がわかる

 

 

 ためになった気がする。

 でもイラストのスキルはまだまだ使い物にならないので、今回のクソゲー制作では適当にごまかす方法を考えることにした。

 今になって思えば、デッサンよりイラストツールやベジェ曲線の使い方を学ぶほうが即戦力になった気もする。

 

まだでかい壁があるぞ!

 グラフィックは適当にごまかすとしても、まだ大きな壁が1つある。

 それは音だ。音がなくてもゲームとしては成り立つが、音がないと楽しさが半減である。BGM、SE、それらを用いた演出があることによってユーザーに楽しさを届けることができる。

 でもね、例のごとくこっちも素人なんだよね。

 というわけでまずはこのMIDIキーボードを買ってみた。

 どうやって使うのか知らないけど!

 

KORG USB MIDIキーボード microKEY-25 マイクロキー 25鍵

KORG USB MIDIキーボード microKEY-25 マイクロキー 25鍵

 

 

 作曲とSE作りはMacに元から入っているGarageBandでやってみることにした。ガレバン。そのうちガレバンの上位版であるLogic Pro Xに移行してみたいけど、まずはお手軽版で。

 ガレバンを使ってみてまず驚いたのは、PCのキーボードをMIDIキーボードのように使えるため、いきなりMIDIキーボードを買う必要なんてなかったことである。ガレバンに慣れてから充分だった。まぁ、あると楽ではあるが……

 次に驚いたのは、あらかじめ用意された膨大なフレーズを組み合わせるだけで曲を作れてしまうことだ。なんか適当にごまかすのが捗りそうなのだ。中にはYouTuberがよく使っていると思われる音源もあった。

 というわけで、まずは短い曲を作ってみた。ドラムは自分で打ち込んだが、それ以外は用意された音源を適当に組み合わせただけだ。

 


 うむ、素人が適当に作ったわりにそれっぽい。

 高クオリティなものを作れるようになるまではやはり時間がかかりそうだが、ガレバンというツールを知るだけで、音に関してはある程度いけると確信した。

 ガレバンはいいぞ。

 

いざオリジナル!

 試しに謎の空間で謎のオブジェクトを操作できる何かを作ってみた。

 

 

 なんとなく感覚も掴めてきた。わからないことだらけだが、できないことはやらず、とにかく完成させることを目指せばいけそうな気がした。

 コンテンツを作る上で一番大切なスキルは完成させるスキルなので、無茶してでも突き進むのが正しいと信じて強引に作り始めた。

 それでも完成させられるか危ういと思ったので、「クソゲーを作る」という目標を設定してみた。

 

グラフィックをどうするか

 いざ作るとなると、まずはグラフィックをどうごまかすかが問題になった。

 で、なんかもう面倒なので、練習の時に使っていた神絵師カラバッジョさんの絵画を今回も無断使用することにした。

 そうなるとカラバッジョの絵ばかりを使う正当性のようなものが、ゲームのコンセプトに必要となってくる。

 それも面倒なので、いっそのことゲーム空間が「カラバッジョワールド」ということにして、ゲームに一切関係がない絵画をさも当然であるかのように組み込んだ。そしたらいい感じに狂気をはらんでコンテンツとしての謎のオーラが出てきた。

 ペンタブを使ったのはクソゲー感を出すための題字と、次のステージへ誘導する矢印くらいだ。

 

音をどうするか

 BGMは新しく作ったりせず、練習で作ったやつをずっとループさせとくことにした。新しく作ることもできるが、それに着手すると完成が大きく遅れる。作りたい気持ちを抑え、「完成が第一、完成が第一」と呪われたように唱えながらSEをちゃちゃっと作った。

 SEは基本的にガレバンでそれっぽい単音を探し、それを1音鳴らして音声ファイルに書き出してそのまま採用している。

 

意外となんとかなる

 そんなこんなで作り始めて3週間くらいで、「スーパーカラバッジョワールド」は完成した。Unityを学び始めてからは、2ヶ月くらい経った。

 プログラミング経験がなかったので、C#でUnityのスクリプトを書くことはとても大変だった。しかし、躓くところはだいたい初心者にありがちなところだったし、多くの人が躓いているところだった。だから基本的には調べれば解決した。

 躓いて調べてというのをひらすら繰り返すのはめちゃくちゃ疲れるし苦労したが、所詮は答えのある問題だ。体力と時間があればなんとかなる。クオリティだとか上手くいくかどうかは置いといて、とりあえずなんとかなる。

 問題はゲームデザイン、つまりどういうゲームを作るかであり、そこで適切な判断をする難易度がとんでもなく高い。ゲームを作りながら「ここはこうしたほうがいいかなぁ」「ここはもっと良くしたいのにどうすればいいんだろうなぁ」と悩むことは何度もあり、それでいて答えなどない。スクリプトを書く作業にあてるつもりだった時間もあっという間に吹き飛んだ。

 ゲームデザインに関してはもっと経験を積む必要があると感じた。

 

完成が第一

 クソゲーでもなんでもいいから、とにかく完成させることが大事だと改めて実感した。作業を進めているといろんなスキルが足りないよう思えてしまうが、実際のところ一番必要なのは完成させるスキルだ。

 あたりまえのことだが、完成させるスキルがあれば他のスキルが不足していたって完成まで持っていける。そのスキルを伸ばすには完成の経験を積むしかないわけで、作りながら「完成が第一、完成が第一」と唱えて自分の中の完璧主義者を鎮めないといけない。

 そういう意味では、「クソゲーを作る」といった目標設定はとても良かったかもしれない。自分の中の完璧主義者を極力抑え、完成に向かってまっすぐ走りやすい。

 まぁ、出来上がるのはクソゲーだけども……

 

 

次はシンプルゲーを作るよ!

 クソゲーを作り終え、今度はスマホ向けのシンプルなゲームを作り始めている。

 あとゲームデザインの本も読み始めた。

 ずっとゲーム制作にかかりっきりにはならないが、これからもゲームは作っていくつもり。

 そういった活動のログは今後もnoteのアカウントに投稿していこうと思っている。

 


 新しいことへの挑戦はキリのいいところでどんどん発信して、達成感を細かく稼いでいくと成長が早い。気がする。頑張る。

 

 

意外と知られていない、はてブの神機能

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 はてブの機能を組み合わせるとこんなことが出来る。

 まぁまずは見てほしい。

 

 http://bukuma-diver.com/

 

 

 ブックマークをWeb上に記録したり、Webページにコメントを付けたり出来るサービスは世の中にたくさんある。日本においては、はてなブックマーク、いわゆる「はてブ」が最王手最大手である。

 そのため、ややIT系に偏っているものの、はてブのホットエントリーをチェックすればネットでの旬のページをだいたいチェックできる。
 さらにはてブの拡張機能を入れると、閲覧しているページのブックマーク数が表示されるため、そのページがどれくらいブックマークされているかで人気度を把握することが出来る。それだけでなく、拡張機能のボタンをクリックすれば閲覧中のページに寄せられたコメントを確認することも出来る。
 そしていつしか、「ブックマーク数が多いほど良いページ」となんとなく思うようになり、「良い」と思った物事でもコメントでボロクソ言われてるのを見て「良くない」と思い始めたりしちゃって頭がおかしくなってくる。
 これが一般的なはてブユーザーだと思って差し支えない。最高だぜ、はてブ

 

 そんなはてブだが、機能はこれだけじゃない。ユーザーがブックマークしたページの情報ははてブに記録されており、長年に渡って蓄積されたその膨大な情報を誰もが検索出来るようになっている。

 これがなかなか便利なのである。もちろん普通のGoogle検索も便利で、「それが何であるか」といった、何らかの疑問を抱いて使うぶんにはGoogleが一番である。しかし特定の物事に関する面白いページを探そうとすると、どうしても玉石混淆すぎてしまい、あまり満足出来ないことが多い。
 そういう場合にはてブ検索してブックマーク数が多いページをチェックすると、とても良いページとどんどん出会える。どうしてそうなるのかというと、「ブックマーク数が多いほど良いページ」だからである。当然である。何もおかしくない。

 

 このはてブ検索はキーワードでの検索だけでなく、ドメインでの検索も出来る。
 ドメインで検索すると、そのドメイン内でブックマークされたページを抽出することが出来る。要するに特定のサイトの人気ページを簡単にピックアップ出来るのだ。
 これは本当に素晴らしい機能である。ネットとの付き合い方が変わるくらい素晴らしい機能であり、神機能と言っても過言ではない。

 たとえば最近このような記事が人気を博した。

 こういったまとめ記事はとても役に立つしありがたい。

 だが、はてブでクックパッドのドメイン内検索をすれば同じような結果が出る。

 『cookpad』 の人気エントリー - はてなブックマーク

 まとめ記事を書いた人も、はてブドメイン内検索した結果をフィルタリングして一言添えてまとめるというやり方で執筆しているのだろう。

 面白いと思った様々なサイトでドメイン内検索をしてみると、良質なコンテンツを山ほど発掘できるのだ。


 そんな神機能であるが、日常的に使っている人はあまり多くないようである。その理由は明らかで、この機能を使う手順がやや面倒なのだ。
 まず「面白いページだ!このサイトには他にも面白いページがたくさんありそうだ!」と思ってこの機能を使おうとするわけだが、すると以下の手順が必要となる。

→そのサイトのURLのドメイン部分をコピー
はてブに移動
はてブの検索欄に貼り付け

 こんなのいちいちやってられない。クリックや打鍵の回数は5回をゆうに超える。素晴らしい素晴らしいと思いつつも、実際僕ですらたまにしか使っていなかった。

 

 しかし諦めたくはなかったので、自分のようなはてブユーザーのニーズに応えたサービスを作ることにした。
 それが「ブクマダイバー」というサイトと、その拡張機能だ。
 サービスの説明をする前に、とにかく拡張機能の素晴らしさを伝えたい。
 この拡張機能は上で述べた面倒くさい手順をすべてすっ飛ばし、たった1クリックで神機能を使えるようにしたものだ。
 閲覧中のページでブラウザ上部のブクマダイバーボタンを押すと、そのドメイン内の人気ページ一覧を表示する。ただそれだけなのだが、もともとのはてブドメイン内検索が素晴らしすぎるためにこの拡張機能も素晴らしいものとなっている。開発中からこの素晴らしさに胸を打たれていた。是非とも多くの人に使ってもらいたい。拡張機能Google Chrome用しかないが、その他のブラウザのためにもブックマークレットを用意している。シンプルな機能なので、ブックマークレットでも充分に使える。

 

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Wikipedia拡張機能のボタンを押すと、このような画面が表示される。→実際のページ

 

 ブクマダイバーというサイト自体がどういうものかというと、トップページははてブのホットエントリーを表示している。ブクマダイバー自体に特別な機能はなく、完全にはてブを使い倒すためのサービスなのだ。
 しかしただホットエントリーを表示するのではなく、「記事を読む前にコメントもチラッと見たいなー」という個人的ニーズに応えるため、ホットエントリーの記事一覧と共にコメントも表示している。なかなか良い。

 それだけでなく、記事のあるサイトでのブックマーク数の多いページも1クリックで表示出来るようにしてある。
 気に入ったサイトがあれば「ウォッチリスト」に登録し、こまめにチェックすることも出来る。

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 はてブ検索もブクマダイバー上で出来る。それにより、検索にヒットした記事一覧をコメント付きで確認出来る。当然1クリックで記事のあるサイトの人気ページも確認できるし、そのサイトや、検索ワードを「ウォッチリスト」に入れることも出来る。

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(→「橋本環奈 gif」で検索した実際のページ) 

 

 ブクマダイバーははてブの機能が持つポテンシャルを引き出すだけのサービスなので、登録も必要なく、手軽に使えるようになっている。
 別にキュレーションサービスが作りたいとかそういうことでなく、ただ自分のニーズに合った形ではてブを使い倒したいという思いで制作を決めた。だから開発途中の時点で常用するようになったし、自分と似たニーズを持つはてブユーザーにも是非使ってもらいたいと思っている(非営利なので爆発的に広まったらサーバー代で泣くけどw)。
 特に拡張機能
 これのおかげでネットの面白いコンテンツをどんどん発掘出来る。あるサイトで面白いコンテンツを見つけたら、大抵はそれだけでなく、他にも面白いコンテンツがたくさんあるものだ。そのほとんどを普段は見逃していたが、ブクマダイバーの拡張機能があれば、1クリックで出会えるようになる。
 いやー素晴らしいよ、ブクマダイバー。

 もはや誰にも使われなくても、自分がこれを使えるというだけで満足してしまうレベル。

 はてブの素晴らしい機能とオープンなAPIを用意してくれたはてなさん、ありがとうございます!

 

 

 ちなみに開発はGitHubでオープンに進めている。何か機能を足したほうがいいんじゃないかと思った場合は、勝手に上手いことやってPull requestしてくれると、そのまま機能が追加されちゃうかもしれません。 

 

いいイヤホンとか欲しくなったけどカナル型は好きじゃないのでいろいろ模索してみた

 音楽を聴きながら作業することがある。そういう時はいつもiPhone付属のイヤホンを使っていたが、もっといい環境で音楽を聞きたくなった。
 ところが、どうすればより良い環境に出来るのかいまいちわからない。まだ答えは出ていないのだが、ちょっと前にいろいろ模索した過程と、気になった製品をまとめておく。

 

それまでの環境

再生デバイス

 主にMacbook Air
新しいMacbookほしい……)

 移動中やジムで筋トレしてる時はiPhone

 

再生ソース

 主にiTunes
 新しいアーティストを開拓したい時はjango。

 

 

使用オーディオ

 iPhone付属のイヤホン、EarPods。これ実は買うと結構高い。


 EarPodsの使用理由は以下。

 

  • 調達のしやすさ(既に持ってるので)
  • 低コスト(既に持ってるので)
  • 最低限の音質
  • 解像度は高くないが、そのぶん音の角が丸いので聴き疲れしにくい
  • 耳栓の用に押し込むカナル型でなく、昔ながらのインナーイヤー型なので、長時間使用でも耳が痛くならない
  • ガバガバゆるゆるだけどそのぶん着脱が楽
  • 外部の音がしっかり聞こえる

 

 EarPods耳に軽く置く感じの装着なので耳に優しいが、ジムで体を動かすとぽろぽろ落ちてしまう。なのでジムで使うEarPodsにはこれを被せている。外れにくくなって非常に使い勝手が向上した。

 

PGA Apple EarPods専用 シリコン製イヤホンカバー ホワイト PG-IP5EARC02WH
 

 

 2ペア入りなので、耳が大きい人でも2枚重ねにすればフィットするはず。
 これもちょっと気になる。

 

sprngclip(スプリングクリップ) for Apple EarPods SP1146

sprngclip(スプリングクリップ) for Apple EarPods SP1146

 

 

 フィットしないからEarPodsを使わずにいる人は、ここらへんのを使ってみるといいかも。EarPodsは2年ごとのiPhone買い替え時に毎回タダで手に入るものなので、気楽に使えていい。

 

改善パターン

 現在の環境に特別不満がある点はないけども、とりあえず使用オーディオを変えるだけで大幅に改善出来るはず。
 そこで改善パターンをいくつか考えてみた。

 

オーディオのタイプを変えてみる

 たとえばイヤホン→スピーカー。
 これなら聞き疲れしにくく、耳も痛くならない。
 小音量なら近所迷惑にもならない。

 候補としては、低コストを重視するならこれが良さそう。

 

LOGICOOL ステレオスピーカー Z120BW

LOGICOOL ステレオスピーカー Z120BW

 

 

 どうやらPC用スピーカーは安くていいものが結構あるようである。

 

 

 音質を重視するならこれが良さそう。

 

Olasonic USBスピーカー バスパワー 10W+10W TW-S7(W)

Olasonic USBスピーカー バスパワー 10W+10W TW-S7(W)

 

 

 これは2.5wの入力しかないUSB給電タイプなのに、10W✕2の出力を実現して話題になったスピーカー。

 


 以前この記事を読み、そのうち自宅用として買いたいなぁと思ってた。
 ただ、ガラリと環境が変わるので、スピーカー化はとりあえず保留に。

 

 イヤホン→ヘッドホンにしてみるというのもちらっと考えたが、やっぱり長時間使用に向かないし、髪がペッタリしちゃうので微妙。
 ただ、いいヘッドホン自体は欲しい。特に必要ないから買わないけど、BOSEノイズキャンセリングのやつ]()とか、ゼンハイザーの名機[HD25](http://www.amazon.co.jp/dp/B000TDZOXG)とか魅力的。

 

 

【国内正規品】ゼンハイザー 密閉型ヘッドホン HD25-1 II

【国内正規品】ゼンハイザー 密閉型ヘッドホン HD25-1 II

 

 

 近所の電器屋で試聴した感じだとこれめっちゃ良かった。

 

【国内正規品】AKG 密閉型ヘッドホン リファレンスクラス ブラック K550
 

 

 でもオールマイティに高音質で聴けるAKGK240()を既に持っているので、そんなのをわざわざ買うことの優先度は極めて低い。

 

 

 真剣に音楽を聴くためのヘッドホンであるSTAXはお金ない時に売っちゃったし、何か新しいの欲しいなぁとずって思ってるんだけどね、ハイファイに走るとキリがないからアカン。

 

スタックス コンデンサー式イヤースピーカーシステム SRS-2170

スタックス コンデンサー式イヤースピーカーシステム SRS-2170

 

 

他のインナーイヤー型のイヤホンに変えてみる


 これが一番無難な改善パターンである。
 ただ、iPhone付属とはいえ、EarPodsは小銭で買えるようなイヤホンよりは圧倒的に音質がいい。そもそも買うと3500円くらいするイヤホンなので、付属品だからといって馬鹿に出来るような代物ではない。
 おそらく、数千円のインナーイヤー型イヤホンでもEarPodsを上回る音質のイヤホンはそこまで多くない。しかもわざわざ数千円を出して乗り換えるほど、大幅にEarpodsを上回った音質と汎用性を持ち合わせたものは、ほとんどないように思われる。
 あったとしても、簡単に手に入り、しかも耳に合うものとなるとやはり存在するのか怪しい。

 そうなると1万円クラスのイヤホンを考えなくてはならない。
 音質や入手のしやすさ等を調べた結果、一番欲しいと思ったのがこれ。

 

ninewave インナーイヤーヘッドホン NW-STUDIO PRO シルバー XNIW551129

ninewave インナーイヤーヘッドホン NW-STUDIO PRO シルバー XNIW551129

 

 

 1万超えのイヤホンなのでおそらくEarPodよりも高い解像度。インナーイヤーの割に低音もよく出るらしい。そして本体デザインや小物等が、なんかいい雰囲気。所有している楽しさというのは確実にありそう。

 次に欲しいと思ったのはこれ。


 安っぽい見た目だけどNW-STUDIO PROよりやや上品な音作りで、結構ハイファイ志向らしい。
 ただ、いつの間にかAmazonから姿を消していたw

 あとはつけ心地や音質が安定していると思われるBOSEのやつもいいかもなぁと思ったり。

 

 

 電器屋に置いてあるのを何気なく試聴したことがあるのだが、つけ心地はなかなかいい。確か音質も悪くなかった。

 でもまぁとりあえずNW-STUDIO PROかUBQ-ES903のどちらかにしとこうかなぁ、音質的には前者だけど、耳に合わなかったら困るし、ちょっと安い後者にしようかなぁなんて考えていたところ、さらに別の可能性を思いついた。
 EarPodsから音質を上げるのではなく、音質はとりあえず置いといて、音楽体験をより楽しくするような個性派に乗り換えるのもありだなぁと。

 そこで候補となったのがこれ。

 

final audio design Piano ForteII ダイナミック型イヤホン(ブラウン) FI-DC1550M1-BR

final audio design Piano ForteII ダイナミック型イヤホン(ブラウン) FI-DC1550M1-BR

 

 

 3000円以下なので解像度は高くないが、圧倒的な音場の広さは多くの人を魅了し、唯一無二の存在となっている個性派イヤホンだ。ちなみにこれの最上位機種は20万円を超える。
 Piano Forte IIは聴き疲れしにくいようなので、とりあえず安いしこれ買っておこうかなと思った。

 しかし電器屋試聴してみたところ、これはインナーイヤー型だがビー玉くらいある本体をガポッと耳にねじ込むタイプで、自分の耳にはちょっと合わなかった。魅力的だったけど、長時間の使用で耳が痛くなりそうだった。それにインナーイヤー型の宿命であるが、うるさい電器屋では試聴しても音質の良し悪しが全くわからなかった。
 というわけでインナーイヤー型イヤホンの購入もとりあえず保留に。

 

カナル型のイヤホンに変えてみる

 カナル型が好きじゃないからインナーイヤー型がいいとはいえ、カナル型では絶対にニーズを満たせないとは言い切れない。もしかすると耳に合うものなら問題ないかもしれない。そう思い、カナル型も候補に入れて考えてみることにした。
 まずは安めの個性派から探すのがいいかなと思った。そもそも高解像度のイヤホンを買っても、再生デバイス・ソースがハイファイではないので、宝の持ち腐れになる恐れがあるのだ。

 前述のPiano Forte IIを作ってるファイナルオーディオデザインというメーカーは、価格帯を問わず変態的にこだわったイヤホンを世に出している。
 廉価なインナーイヤー型の変態イヤホンがPiano Forte IIであるが、廉価なカナル型でも変態イヤホンを出していた。

 それがこれである。

 

final audio design Adagio II ダイナミック型イヤホン(ブラック) FI-AD2DBL

final audio design Adagio II ダイナミック型イヤホン(ブラック) FI-AD2DBL

 

 

 力強い低音が特徴で、それでいて聴きやすいモデルだ。
 試聴してみたところ、装着感は悪くない。そして音質もなかなか。解像度が高いわけではないが、低音重視の割に高音も伸びやかで、解像度の低さを感じない。そして何より、よくレビューでライブハウスにいるようだと表現されるように、低音を土台とした臨場感のあるサウンドが魅力的だった。Piano Forte IIが表現する音の広がりとは対照的に、音との近さがうまく表現されている。無理やり人に置き換えると、ジーパン&サンダルに上半身は裸で外出しちゃうマッチョなアメリカ人みたいな感じである。
 若干中音域が埋もれることもあるが、これは音楽が楽しくなりそうなイヤホンだと思った。

 隣にAdagio IIより高いAdagio IIIというモデルもあった。

 

final audio design Adagio III ダイナミック型イヤホン(ブラック) FI-AD3DBL

final audio design Adagio III ダイナミック型イヤホン(ブラック) FI-AD3DBL

 

 

 こちらもなかなか良かった。Adagio IIより引き締まった低音で、高音は鋭さが抑えられつつもより伸びやかになっている。全体的にクリアな印象で、音場も広がり、Adagio IIよりさらに空間をはっきりと感じる。音の余韻なんかもしっかり感じられる。
 こちらのほうが「いいイヤホン感」は強い。変態イヤホンなのは変わらないが、質の高い音なので一見すると紳士だ。人で言えば、ブリティッシュスタイルできっちりスーツを着こなしているノーパン野郎だ。
 解像度の高いオーディオを持っていない人がEarPodsや同等の価格帯のイヤホンからランクアップしたいと言ったら、これを薦めたくなる。Amazonだと価格もAdagio IIと大して変わらないのでコスパもいいかも。

 ただ、より個性的な楽しさがあるのはAdagio IIである。「ブリブリのエレクトロニカが聴きたい!」という気持ちになった時などに選ぶのも、絶対Adagio IIだろう。
 Adagio IIIのほうがオールマイティに使える気はしたが、解像度はそれほど求めておらず、音楽の楽しさをより体感できるものが欲しかったので結局Adagio IIを買うことにした。

 

その後

 Adagio IIを買ってみたのだが、エージング、つまり慣らし運転というものをほどんどしていない状態だと、かなり薄っぺらい音であった。低音もほとんど出ない。
 Adagioシリーズはエージングで化けると言われているし、数十時間エージングすれば試聴用と似たような音になってくるのだろうが、すぐにそれを体感できないのは残念であった。
 ただ、試聴用よりあまりに音質が劣るため、本当にエージングで劇的に向上するのか不安だった。たまたま不良品か偽物を掴まされたのではないかという気さえした。
 また、装着感は悪くないと思っていたが、イヤホン後部が若干耳に触れており、しばらく着けているとその部分がちょっとだけ痛くなった。短時間の装着じゃ全く気付かなかったしイヤホン本体もかなり小ぶりなので、想定外だった。
 何度も使っているうちに耳が慣れてくれるといいが、慣れなかったらどうしようと思った。

 かなり不安であったが、数時間使っていると音質はだいぶ改善されていった。指で押さえて耳の奥に押し込んだ状態で聴くと、視聴時とほぼ同じ音になった。
 しかし、指を離すとまた薄っぺらい音になった。恐らくシリコンのイヤーチップがまだ固く、耳になじまないせいだと思われた。

 そこで、家にあった低反発のスポンジでできたボロいイヤーチップを付けてみた。するととんでもなく音が良くなったので、いい感じの低反発チップを探してみた。
 そして見つけたのがComplyというメーカーの低反発イヤーチップ。

 

 僕が買ったのは確かこれ。

 

COMPLY (コンプライ) イヤホンチップ Ts-200 ブラック Mサイズ (3ペア)

COMPLY (コンプライ) イヤホンチップ Ts-200 ブラック Mサイズ (3ペア)

 

 

 使ってみたところ、今までとは別次元のイヤホン体験をすることになった。自分が持っていたカナル観が大きく変わり、一気に僕のカナルが開発されてしまった。
 まず装着感が素晴らしかった。着脱がやや面倒であるが、耳の中で強く当たる部分もなく、ふんわりとした付け心地。それでいてイヤホンがしっかり奥まで入るので、イヤホン後部は耳に当たらなくなった。
 そして圧倒的な遮音性。新品なら電車の騒音もほとんど聞こえなくなってしまうほど。
 奥まで入り、しっかり遮音しているので、このイヤーチップはイヤホンのポテンシャルを存分に引き出す。
 すると変態イヤホンAdagio IIの変態性が爆発!
 イヤホンでありながら胸に響く低音!
 なんだこれ! 低音重視のヘッドホンよりも低音出てるじゃん!

 ……っていうか低音出すぎだよ!
 Complyのイヤーチップは低音が強くなるらしいので、高音重視のモデルを買ったのだが、それでもAdagio IIと組み合わせると異常な低音になってしまった。
 低音重視の曲だとそれはそれでかなり気持ちいいが、さすがに他の音域が埋もれ気味になった。
 そこでいろいろ調べてみたら、逆挿しという技があるのを知った。Complyのイヤーチップをイヤホンに逆向きで付けてみると、低音がやや抑えられて他の音域が埋もれないという。
 実際にやってみるとかなりいい感じのバランスになった。低音はブリブリ出ているが、それでいて他の音域も埋もれていない。装着感は若干悪くなるが、それでも普通のカナル型とは比べ物にならないくらい快適である。
 Complyのイヤーチップはちょっとイヤーチップとしては高すぎるように思ったが、使ってみるとこの価格に見合った性能であり、むしろ性能の割に安いくらいだ。
 カナル型がどうもしっくり来ないという人や、低音が好きすぎて頭が馬鹿になってきてる人は是非ともComplyのイヤーチップを使ってみて欲しい。
 ノズルのサイズにバリエーションがあり、きちんと選べばだいたいのカナル型イヤホンに付けられる。
 Comply公式サイトやe☆イヤホンで自分のイヤホンに対応したモデルをチェックしてみよう。

 


さらにその後

 僕は非カナル派だというのに、Adagio II & Comply体制の鳴り方が気持ちよくてしばらく使っていた。しかしその気持ちよさをひと通り味わい、普段使いとしての立ち位置を吟味してみれば、やはり低音パラダイスで聴き疲れしやすいので長時間使用には向いていないw
 なので結局PCで作業をする時にはたまにしか使わず、主に電車での移動中に使っている。
 本来の目的は果たせていないが、電車移動時の役立ちっぷりは半端ない。電車の騒音をカットしてくれるということは想像以上に快適だった。ボリュームを小さくしていていも、ちょっとでも音楽を流していたら電車の騒音はほぼ聞こえない。目を閉じてぼーっとしてたら電車が止まったことにも気づきにくいほどである。

 PCで使うイヤホンはどうなっているのかというと、相変わらずiPhone付属のEarPodsである。そのうちNW-STUDIO PROを試聴して、耳に合うなら買う可能性が高い。Bluetoothのイヤホンも気になっているので、いい感じの製品を知ればそっちに心が傾くこともあるかもしれない。

 非カナル派の僕らはどこへ辿り着くのだろうか。イヤホンの旅はまだまだ始まったばかりだ。

 

 

 ところでみんなは一体どんな環境で音楽を聴いているのだろうか。

 そしてそれは理想的な環境なのだろうか。

 

 

 

 

ねぇ、飛び級しない?

 僕は小学生のころ、問題児として扱われた時期があった。与えられた席は特等席。一番前の席よりもさらに前。教卓の真横だ。ふざけんなよ。

 そうなった理由は、僕が大人しく授業を受けられないからだ。まぁ……言い分は理解できる。

 僕の他にもう一人、特等席を与えられた子がいた。やはり彼も僕と同様に、大人しく授業を受けられない。まったくしょうがない奴だ。

 そりゃ僕だってしょうがない奴には違いないのだけど、今思えばこの特等席が、日本の教育システムの問題を端的に示しているように思える。

 

 僕じゃないほうの問題児は、先生の話をまともに聞けず、すぐキレて、テストでもほとんど点を取れなかった。それを何とかケアするために、特等席を与えられていた。

 じゃあ僕も同じかというと、そうではなかった。先生の話はすぐに理解したし、指されても即答出来たし、練習問題もすぐに解き終わったし、テストは基本的に100点だった。

 ではなぜ問題児とされたのか。それは退屈だったからだ。先生の話をすぐに理解し、退屈だった。何を問われても答えられるくらい理解していたから退屈だった。練習問題もすぐに解き終わったので退屈だった。

 所詮は小学生だ。退屈ならおしゃべりもする。そして怒られる。また退屈になれば別のことをやったりする。そして怒られる。怒られずにできることといえば、教科書を読むことくらいだ。でもそのせいで、次の授業は先生の話を全く聞かなくてもよくなり、もっと退屈になってしまった。そうなると、もっといろんなことをして、もっと怒られた。そうして僕は「問題児」となった。

 

 結局僕は、日本の教育システムからあぶれてしまったのだ。出来るか出来ないかの問題じゃない。「平均的な子供」でなかったことがいけなかったのだ。

 塾になんか行っていなかった。予習も復習もしない。宿題以外の勉強もしなかった。僕が特別なことをした訳じゃない。「話を聞け」と言われたから聞いた。「問題を解け」と言われたから解いた。「テストを受けろ」と言われたから受けた。それを全て上手くこなして退屈になった結果が、「他の子が出来るまでじっとしてろ」だ。小学生にそれは難しくないですかね。

 もう一人の「問題児」だって同じようなものだ。彼が何かしでかした訳じゃない。話が聞けないのも、感情をコントロールできないのも、テストで点を取れないのも、彼自身の能力の問題だ。それによって「平均的な子供」でなくなってしまっただけだ。構造的には僕と変わらないはずだ。

 だけど公立小学校のシステムだと僕らは単なるイレギュラーな存在でしかない。当時はぼんやりとした不満しか抱けなかったが、今ならはっきりと言える。システムが悪い、と。

 別に僕が天才的な能力を持っていたわけでもない。あくまで小学生のレベルだとよく出来たというだけで、小学生を逸脱するような能力は持っていなかった。だから僕のように退屈を押し付けられていた子は、だいたいどこの小学校でも各学年に10人くらいはいたんじゃないかと思う。決して珍しい存在じゃないし、僕だって最終的には大した大学にも行っていない。

 

 高校や大学での飛び級がよく話題にはなるけれど、義務教育期間、特に小学校にこそ飛び級制度が必要だと思う。もちろんその制度には、留年も含まれる。

 もしあの当時に飛び級制度があったら、なんてことをつい考えてしまう。きっと「問題児」として退屈な授業を受ける日々はなかっただろう。

 上のレベルに挑戦したとしても、敗北を喫するだけだったかもしれない。だけど、ただ単に退屈を押し付けられるだけだった時間が、何らかの勉強に使われるだけでも充分に有益であったはずだ。

 もう一人の「問題児」も同じだ。能力的に出来るはずもないことをやらされ続けたが、当然出来るわけもなかった。「能力には個人差がある」という事実を隠蔽するかのように、問題は「頑張ったか頑張らなかったか」にすり替えられ、彼は「頑張らなかった子」の烙印を押されて学業という枠組で落ちぶれていった。今のシステムでは、何度「彼」が出現しても、一向に彼を救えない。

 でも留年制度があれば、彼の成長に合わせて学年を進むことが出来れば、少しは違ったんじゃないかと思う。「みんな画一的に学年を進むのが平等」という見せかけの平等が、弱者が弱者でなくなるチャンスを奪っているように思えてならない。

 早生まれの子も同じだ。3月生まれなんて、4月生まれとほぼ一年の差がある。発育のスピードにだって個人差があるのだから、場合によってはとんでもない能力差が生まれてしまう。しかし現状だと「早生まれだし仕方ないよね」で済ますしかない。

 

 ただ、現状からいきなり飛び級制度を施行するなんていうのは不可能に近い。今のような完全に「クラス」という集団で学校生活をしている中だと、飛び級していいと言われてもなかなかしづらい。それだと僕だって飛び級しなかったかもしれない。

 きちんと機能する飛び級制度を可能にするには、クラス全員が同じ行動をするのではなく、各人が自分の受ける授業を受けに行くという高校の選択授業のようなシステムに変えないと難しい。小学校にそれを採用するにはそれなりに工夫が必要だろうが。

 上か下に飛び抜けた子の特例を許可する、という程度では基本的には今と大して変わらないのだ。その程度だと僕のような子は飛び級出来るほどでもなく、やっぱり退屈を押し付けられ続ける。

 また、飛び級制度施行後も、飛び級したり留年したりする子がそこそこいないと意味が無い。あくまで特例措置でなく、当然起こり得ることとして運用されなければならない。

 

 このようなことを踏まえると、まず実現すべきなのは飛び級制度よりも、習熟度別授業の普及だと思う。

 私立では結構行われているだろうし、公立でもやっているところはある。ただ、全ての公立小中学校で行われるべきだ。

 とはいえ、クラス自体を習熟度で分けてしまってもなかなか上手くいかないだろう。小学生では学力の変動も激しいし、小学生から常に格付けされ続ける状態になってしまう。

 そうなると先生方がかなり上手く運用していかないといけない。小学校の先生の力量に頼るようなシステムは絶対駄目だ。日本の制度だと、どうしても小学校ほど能力の低い先生が集まるような構造になっている。先生が優秀でないと学年ごと芽を摘まれてしまうのは当たり前、なんてシステムではいけないのだ。

 だからクラス分けにおいては今まで通りでいい。習熟度で分けるのは主要教科の授業だけだ。今までのシステムで上か下にあぶれてしまった、「平均的な子供」ではない子をケアするための授業を用意すべきなのだ。

 複雑なことではなく、特に出来る子と特に出来ない子が、主要教科において別室の少人数授業を受けるようにすればいい。それ以外の子は、今まで通りの授業を受ける。

 少人数だから、出来る子と出来ない子を同室に集め、一人の先生が別々の授業をすることだって可能だ。また、通常授業と同じ教科を同じ時間に受ける必要もない。通常授業で国語をやっている時に少人数授業で算数をやったとしても、最終的な授業数が同じなら問題ない。だから複数のクラスから集めて少人数授業を行うことだって出来る。このようにやっていけば、教員もそこまで不足しないで済むはずだ。

 この程度の習熟度別授業なら、現状のシステムにちょっと手を加えるだけで実現できる。ちょっとしたことなのだけど、これであぶれてしまう子がどれほど救われるか。

 私立に行けばいいだとか塾にいけばいいだという考えもあるだろうが、それでは結局金の問題になってしまう。生まれた家庭によって人生のかなりの部分を左右されてしまうのは当然のことだが、それでも公立ならば平等に、しかも多様なチャンスを与えるべきだ。

 

 ただ、日本にはびこる、画一性と平等を混同した悪平等主義が、このちょっとした習熟度別授業の実現すら阻むかもしれない。保護者や教員の反対は多少なりともあるだろう。徒競走で順位を付けないのが理想だと考えるような人間はどこにでもいるものだ。

 しかし、能力の違いを認めないその態度こそが、能力の差を埋めたり、秀でた能力をさらに伸ばしたりするチャンスを奪っているのだ。彼らに屈してはならない。

 多くの日本人がぼんやりと抱く、画一的であろうとする意識までもが悪だと言っている訳じゃない。その意識こそが日本の民度を諸外国よりも遥かに高くしている要因であることも事実だろう。しかし、それが行き過ぎたり、それではカバーできないものについては、はっきりとNOを突き付けなければならない。

 

 僕は隙あらば今の教育システムを変えてやろうと目論んでいる。どうにかして外側から揺さぶることは出来ないものかと思案している。救いたいんだ、出来る子も出来ない子も。

 でも、そう簡単には出来ないし、今すぐ出来ることでもない。だからブログでちょこっと愚痴ってみた。同じような問題意識を抱く人が少しでも増えればいいなとも期待しつつ。

 

 出来る子ほど授業が退屈になってしまう状態は、まだまだこれからも続いてしまいそうだ。家計に余裕が無いと、解消する術がないのだ。そして退屈に耐えられなくて別のことを始めてしまう子は怒られ、「問題児」になっていく。

 だけどそんな「問題児」が生まれた時、教員が怒鳴るのではなく、こんな一言を投げかける未来であってほしいと切に願っている。

 

 ——ねぇ、飛び級しない?